被爆死米兵、55年ぶり死没者名簿に登載を

'00/7/29

 広島市への原爆投下時、爆心地から約六百メートルの陸軍中国憲 兵隊司令部(中区基町)に抑留されていて被爆死した米兵の遺族 が、五十五年ぶりに原爆死没者名簿への登載を市に申請する。米国 人捕虜の遺族捜しを続けている西区己斐中三丁目の歴史研究家森重 昭さん(63)のもとにこのほど登載申請書が届いた。

 被爆死したのは、米軍沖縄基地四九四爆撃部隊所属の爆撃機「タ ロア」のパイロット、ジョセフ・ドビンスキー少尉=当時(27)。タ ロアは一九四五年七月二十八日、呉湾にいた戦艦「榛名」の爆撃に 飛来し、佐伯区五日市町八幡に墜落した。ドビンスキーさんは同乗 の二人とともに中国憲兵隊司令部に連行された。

 森さんは、連合国軍総司令部(GHQ)の資料や外務省の外交文 書などで、ドビンスキーさんが原爆投下時に抑留されていたことを 確認。同じ部隊の隊員らを通じて遺族を捜していた。

 昨年九月、米国の新聞にドビンスキーさんの異父弟で弁護士のブ ランコ・ストーパーさん=ワシントン在住=がドビンスキーさんに ついて語った記事が載っているのを人づてに知った。森さんは今年 六月まで七回にわたり、平和記念公園(中区)の原爆慰霊碑に奉納 されている原爆死没者名簿への登載申請書を同封した手紙を送っ た。

 ストーパーさんの返事は二十六日に届いた。申請書の死因欄には 「原爆」と英語で記入されていた。森さんは八月六日の平和記念式 典までに名簿に登載されるよう近く市に提出する。

 森さんは「遺族は原爆による死を認めたくなく、気持ちの整理に 時間がかかったのだと思う。名簿登載が今世紀中に間に合ってよか った」と話している。

 中国憲兵隊司令部に抑留されていて被爆死した米国人捕虜は、少 なくとも十人いたとされている。このうち広島市の原爆死没者名簿 には四人が登載されている。森さんは九六年にこのうちの一人の遺 族を見つけ登載の仲立ちをしている。

【写真説明】ストーパーさんから森さんに届いた原爆死没者名簿の登載申請書


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