中国新聞社

2000・2・17

被曝と人間第2部臨界事故の土壌[7]        
日本原子力産業会議副会長 森 一久

 

 

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もり・かずひさ 京都大卒。故湯川秀樹博士の下で理論物理を学んだ。中央公論社で9年間、記者として原子力問題を取材。1956年の日本原子力産業会議設立時に職員となり、専務理事を経て96年副会長。広島市中区出身。74歳。

    JCOだけの責任か

 

業界内で欠けた監視

 「原子力発電は安全だから安心してください、とわれわれが言ってきたのは事実。だが東海村での臨界事故後は、原子力は危険だからこんな安全策を講じている、と国民に具体的に提示するよう努めている。その努力をこれまで怠ったと思わないが、伝わっていなかったとの反省はある」

 ■「安全神話」はない

 「原子力安全委員会が設置した事故調査委は最終報告書で、「安全神話」という標語は捨てるよう、原子力関係者に意識の転換を求めた。原子力関連業界団体である日本原子力産業会議(原産)で、一九五六年の設立当初から原子力をめぐる国民合意の形成に取り組んできた森氏。安全神話に関する最終報告書の提言に、「そんな神話はない」と批判的だ。

 「被爆国であるがゆえ、原発は原爆とは違うんだ、安全だ、と強調してきた。加えて、日本の原発は高い安全性を保ってきたので、『安全神話』という言葉が使われだした、と受け止めている。だが、われわれの頭に安全神話なんてものは最初から存在しない。原子力関係者で、そんな言葉を信じて仕事をしてきた人はいないはずだ」

 ■仲良しクラブ体質全

 事故を起こした核燃料加工会社ジェー・シー・オー(JCO)は、ウランの再転換工程を担い、ウラン採鉱に始まる核燃料サイクルの「上流」に位置していた。関係者の間では「安全設計が十分な原発では起こり得ない」と事故の特異性を強調する発言も聞かれた。だが、核燃料サイクルの中で、JCOだけに責任を押し付けることはできないのではないか。

 「JCOは原産の会員ではあるが、犯罪に近いことをやってしまった。責任を取ってもらうのは当然だ。だが、私たちにとっても、核燃料加工施設での事故は想定外だった。原子力に携わるものが事故を起こせば業界全体のダメージとなるのに、原子力関係者の目が行き届いていなかった」

 「事故を受け、われわれの提言でニュークリアセイフティネットワーク(NSネット)が昨年末、発足した。電力会社や核燃料加工会社など、会員間で相互の生産現場を監視し、民間側で安全面の管理体制をチェックし合うのが目的だ」

 「こうした体制を整備した背景に、産業内で互いに信頼を寄せ、安心しきっていた面があった。原子力施設を受け入れる自治体にしても、十分に安全面をチェックしてはいなかったと思う。企業も自治体もこれまでは仲良しクラブで、内輪に厳しい監視の目が足りなかった」

 森氏は、広島の被爆者でもある。戦後は原子力の発展に尽くした人生は、そのまま核の歴史を体現したかのようだ。その森氏の目に、モラル低下が指摘された現在の原子力産業や技術者は、どのように映っているのか。

 ■高い技術と見識を

 原子力はほかのエネルギーと違う。原爆という悲惨な経験を経て手に入れたものだ。だからこそ、関係者は原子力をまじめに管理しようと慎重にやってきた。だが、関係者のモラルハザード(倫理観の欠如)が事故の背景にあるとの指摘は、認めざるを得ない」

 「原子力利用が始まった当初は少数ながら、高い技術と見識を持った人間がそろっていた。産業が拡大し、従事者は十万人に増え、マニュアル人間ばかりになった。使用済み核燃料の輸送容器のデータ改ざんなど不祥事も続いている。業界全体が日本の社会構造同様、汚染されたということだろう」

周辺住民への対応は十分だったか
遅れた説明 不安を増幅

 科学技術庁が一月末に発表した東海村臨界事故の被曝(ばく)者数は、ジェー・シー・オー(JCO)の周辺住民を含め、四百三十九人に上った。一般人の年間限度(一ミリシーベルト)以上の被ばくをした住民は百人以上、最大値は二一ミリシーベルトだった。爆心地から約一・一kの広島市中区幟町の自宅で被爆した森氏は、原子力の平和利用で被ばく者が生まれたことをどう受け止めたのか。

 「広島・長崎級の放射線を瞬時に浴びて亡くなった(JCO社員の)大内久さん=当時(35)=と遺族の苦しみは、察するに余りある。一緒に被ばくしながら生き残った二人のJCO社員に私ができるのは、被爆者として相談に乗ること。子どもは生めるか、子どもの結婚は、などと悩んでいるだろう。私も、被爆後一年たっても白血球の数が元に戻らなかった。彼らの心のケアをするのは私の責任だ」

 ■数値的に影響なし

 「付近住民の被ばくは、幸いにも低い線量だった。だが、その後の対応に問題があった。住民への説明や発表が遅れた。比較データもないのに血液検査をし、不安をかき立てるだけに終わった。数値を見れば健康にほとんど影響がないのは明白だ。自信を持って絶対大丈夫と断言できなかったことが不安をあおった」

 わが国で運転中の原発は現在、計五十二基。発電電力量の三割余りを賄っている。だが、プルトニウムにウランを混ぜた混合酸化物(MOX)燃料を既存の原発で燃やすプルサーマル計画の延期や島根原発3号機の建設計画の遅れなど、臨界事故の影響は原子力計画全般に広がっている。

 「原子力が嫌われるのは、チェック機能が強まるから結構なことだ。広島・長崎の被爆体験がある以上、嫌われる宿命だとも思う。ただ、度が過ぎると、原子力をめぐる問題が見えにくくなる」

 ■危険 冷静に考察を

 「人間の活動には常にリスクが伴う。例えば、石炭や石油の化石燃料による大気汚染の影響でどのくらい死者が出たのか。その危険度と原子力を比べ、冷静に考えてほしい」

 原子力の平和利用を推進する日本原子力産業会議(原産)は一九九四年四月、初めて広島で年次大会を開いた。森氏は被爆地での開催に尽力し、大会のテーマに「核兵器廃絶」を掲げた。

 「原子力は、原爆の怖さを知った上で使われている。被爆者の、平和利用にだけその力を使ってほしいという悲痛な叫びに支えられ、今日まで続いてきた。その過程は風化させてはならない」

 ■原爆と同列視戒め

 「臨界事故と広島・長崎の体験は、放射線被害という点で関係はあるが、同列に扱ってはならない。広島のあの日は、そんなに甘っちょろくはなかった。一方は軍事利用で瞬時に強烈な放射線を浴び、一方は事故で作業員だけが大量に浴びた。一緒に論じるのは大 げさではないだろうか」


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