中国新聞社

2000・5・24

被曝と人間 第5部 放射線 人知の壁
〔1〕複合障害

空前の線量 医師苦闘

  ●臓器・骨髄…同時に多発

 ■「勝ちめない戦い」

 「治療当初から、勝つ望みのない戦いを続けるドン・キホーテのような気持ちだった」。東海村臨界事故で大量の放射線を浴び、死亡した大内久さん=当時(35)=と篠原理人さん=当時(40)=の治療にあたった東京大医学部付属病院の前川和彦教授(59)は、そう振り返る。

 被ばくした放射線の量は大内さんが一六〜二〇シーベルト、篠原さんが六〜一〇シーベルトと推定されている。原爆被爆者などのデータでは、治療しなければ、ほぼ全員が死亡する線量は六〜八シーベルト程度。篠原さんはそれにほぼ匹敵し、大内さんは大幅に上回っていた。

 二人の死因は「多臓器不全」だった。広島と長崎の原爆被爆者でも見られた、大量の放射線による急性障害の典型だ。放射線が二人の全身をずたずたに傷つけたことを如実に示している。

 二人は事故当日、放射線医学総合研究所(放医研、千葉市稲毛区)に運び込まれ、その後、東京大の付属病院に移された。大量の放射線を受け、複合的な障害が起きる恐れがあったため、各分野の専門医がそろう総合病院で治療を行う必要があったからだ。

 ■未経験の治療続く

 「急性障害については、被爆地の広島と長崎の医師でも、知識はあっても実際の治療経験はない」と広島大原爆放射能医学研究所(原医研)の宮川清教授(42)は話す。宮川教授は、大内さんを治療した医師と情報交換を続けていた。

 被爆国とはいえ、これほど大量に放射線を浴びた人の治療は初めての経験だったというのだ。医師団は暗中模索の対応を迫られた。一九五四年、太平洋のビキニ環礁で米国の水爆実験に被災した第五福竜丸の乗組員も、今回ほどの放射線は受けていなかった。

 急性障害は、一シーベルト程度以上の放射線を全身に浴びると、必ず起きるのが特徴だ。晩発性障害が被ばくの数年後から数十年後に発がんリスクが高まるのとは明らかに異なる。受けた放射線の量が多ければ、多くの臓器に障害が出て、症状も重くなる。

 ■ひと山越えても…

 実際、大内さんと篠原さんは胃腸などの消化管や肺など、複数の臓器で同時多発的にさまざまな症状が現れた。骨髄や皮膚の障害も深刻だった。

 中でも、造血・免疫機能を持つ骨髄の障害が真っ先に問題になった。このため、赤ちゃんのへその緒や胎盤から取った臍帯(さいたい)血などから造血幹細胞を移植する新しい手法が取られた。被ばく医療では初めてだったが、造血機能はある程度回復した。

 しかし、免疫機能の回復は十分ではなかった。前川教授は「移植が成功したからといって、万々歳ではなかった。移植された細胞は、他の臓器や組織と情報を交換しながら、機能を持つものに分化していくが、二人のように他の臓器が傷付けられているときは、うまくいかない」と説明する。

 一つの山をようやく越えても、別の山が待ち受けていた。医師団は、大量被ばくのあかしともいえる、同時多発的な複合障害に最後まで苦しめられ続ける。


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