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特 集

2003.6.11
(5) 支  援  市民の理解と連携必要

 「集団で訴訟すれば有利になるかといえば、決してそうではない」。六日、集団訴訟の原告たちが初めて一堂に会した広島市中区、市社会福祉センター。冒頭あいさつで佐々木猛也弁護団長は、そう切り出した。

「力を合わせて頑張ろう」。提訴を前に集まった原告団結成集会」(6日、広島市中区)

 個々に立証へ

 集団訴訟で弁護側はまず、原爆被害の全体状況を総論として訴える。その先は、原告一人ひとりで異なる体験と病状を基に、放射線(被曝(ひばく))との因果関係を一つ一つ立証していかなければならない。佐々木弁護士は原告たちを励ました。「多大なエネルギーが必要。しっかりまとまって訴えていこう」

 原告二十七人のうち最年長となる吉川生美さん(82)=中区=は出席できなかった。「もう年だし、松谷さんのようには粘れない。あきらめていたんですけどねえ」。自宅を訪ねると、不安と使命感が入り交じった表情を見せた。

 松谷さんとは、長崎で被爆し、単独で認定訴訟を闘った松谷英子さん。一九八八年の提訴から一審判決まで五年弱、最高裁で原爆症と認定されるまでには十二年近くの歳月を要した。

 吉川さんは、八六年に七十四歳で死去した夫の清さんのことも語り始めた。背中のケロイドを人目にさらし、反核平和を訴えて「原爆一号」と呼ばれた清さん。「おとうさんは、自分は犠牲にしてでも人の面倒を見た。自分も、仲間と支え合いたい」。提訴を決意した思いを明かす。

 非情な線引き

 爆心地から一・六キロ、白島西中町(現中区)にあった自宅の庭で、洗濯物を干していて被爆した。一九八二年まで、たびたび肝機能障害で認定申請したが、その都度却下された。最近、目が痛み、見えにくくなり、白内障と診断された。昨年九月、あらためて申請。今年三月に却下され、異議申し立てをした。

 「被爆者健康手帳を持つ私は被爆者。なのに国は、病気は放射線に起因しないと却下する。非情すぎはしませんか」

 集団訴訟を提起した日本被団協は「国の認定のあり方を根本から問い直す」と意気込む。機械的な目安を使い、あいまいな部分は切り捨てる現在の認定審査でいいのかどうか、と。

 ただ、一審判決まで少なくとも二、三年はかかる、との見方が多い。佐々木弁護士は言う。「高齢で病状は重く、すぐにも救済が必要な被爆者も多い。われわれには勢いが必要だ。法廷で闘うだけでなく、法廷の外でも、市民の運動と結び付くことが重要だ」

 支援組織「原爆症認定を求める集団訴訟を支援する広島県民会議」はすでに発足した。代表の田村和之広島大教授も訴える。「裁判は、国の原爆被害への救済のあり方を問う。その訴えが実を結ぶかどうかは、社会がいかに、原爆被害を理解するかにかかる」

 それぞれ被爆の事実と向き合った五十八年間の半生を抱え、二十七人は十二日、広島地裁に提訴する。

=おわり

  この連載は森田裕美が担当しました。