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原発事故20年 チェルノブイリに暮らす > 連載 > 圧政国家を歩く
圧政国家を歩く
消えない不安 「再発防止」 確信持てず ('06/4/25)

 チェルノブイリ原発の取材を終え、ウクライナの首都キエフから列車で再びベラルーシに向かう。国境を越え、ゴメリ駅に着くと、ウクライナ人の若い女性車掌が起こしてくれた。街には、キエフのような派手なネオンや広告はなく、物ごいもいない。半面、活気がない。ベラルーシに戻ったことを実感する。

 治安は良好だ。物価は意外と高く、気候は冬が酷寒になる。親日的な人が多く、特に、同じ核被害を受けたヒロシマからの来訪者は歓待されるだろう。

 ▽視線をそらす

 ただ、公の場での政治談議には気を付けてほしい。取材で、公的な立場にある人に会うことが多かった。原発事故に関して、相手の口調はなめらかだ。次第に打ち解け、身の上話になるケースも多い。

 「ベラルーシは美しい女性が多いでしょ。あなたは妻子持ちですか、お気の毒に」。冗談も交じる。

 こちらが調子づいて、「お国も国際的に孤立して大変ですね」。そんな言葉を口にした途端、相手はしれっと、別の話題に切り替えてしまう。視線をそらす場合もある。

 アメリカ流「民主主義」の世界輸出を強行する米ブッシュ政権は、北朝鮮やイランなどと並び、ベラルーシを「圧政国家」と名指しで批判している。

 現地の家庭などで二カ月過ごしたいま、この表現は誇張だと確信している。北朝鮮と同一視するのは、あまりにも乱暴だ。大統領が「強権的」といっても、一般市民は家庭にホームステイする取材を受け入れてくれた。

 学生時代に現地の家庭に短期間泊めてもらい、昨年は子ども連れで旅行したイランと比べても、庶民の暮らしはより自由で平穏だった。

 それでも、ベラルーシでは、多くの人々は何かに怯(おび)えているように感じる。理不尽な警察国家に暮らす息苦しさとでも言えば、いいのだろうか。

 こんなことがあった。日本を出発する前、通信事情の悪さを考えて、通信衛星を利用する電話を持ち込むつもりだった。現地から記事を確実に送るための「保険」だ。

 だが現地の日本大使館を通じて確認すると「持ち込みはできるが、使用は違法だ」という。それなのに取り締まる法律はまだ存在しないらしい。どんな行為が違法で罰則はどうなのか、分からない。結局、電話は、乗り継ぎのモスクワに預けてきた。

 ▽仕方なかった

 当局から汚染地の取材許可が下りないこともあった。その理由や、いつ許可されるのかは一切、教えてくれない。不満や怒りがどんどんたまったが、精神衛生上、こう考えることにした。

 「それは、ベラルーシだから」

 ソ連は原発事故後、その事実を国民に隠していた。発覚したのは、外国から指摘されたためだ。対策が遅れ、膨大な数の国民が被曝(ひばく)した。同じ社会主義国だった隣のポーランドは、いち早く子どもたちにヨードを配り、甲状腺への放射性物質の流入を防いだという。旧ソ連では人命があまりに軽かった。

 「事実をもっと早く伝えたかった」。事故当時、公職にあった人たちから懺悔(ざんげ)の言葉を何度も聞いた。「秘密社会で仕方なかったんだ」。お決まりのように釈明の言葉も加わる。

 しかし、「もの言えば唇寒し」の社会は、本当に変わったのか。同じような悲劇と過ちは二度と起きないのか―。多くの人と知り合った今、もやもやとした不安が残る。(滝川裕樹、写真も)

【写真説明】目抜き通りにたたずむジェルジンスキーの像。恐怖政治の象徴だった国家保安委員会(KGB)創始者として、旧ソ連の崩壊直後、モスクワなどでは民衆に倒された


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