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原発事故20年 チェルノブイリに暮らす > 連載 > 汚染地の家族−別れ
汚染地の家族−別れ
再生へ 新たな希望 家族で紡ぐ ('06/4/30)

 ホームステイ先のナターシャ(51)とステファン(54)が運営するベラルーシ南部ゴメリ市の作業所「のぞみ21」。チェルノブイリ原発事故の被災者や障害者たちが働いている。

 苦しい経営を立て直そうと、ステファンは、ロシア名物の入れ子人形マトリョーシカを応用した商品をいろいろと考えた。人形をあしらった「はし」や、携帯電話に付ける飾りなどだ。どれも素朴な味わいがある。市民団体を通じて日本でも販売するという。

 ほかにもいいアイデアはないだろうか。ステファンと一緒に、市内の国営百貨店に物色に行った。薄暗い陳列棚に多くの民芸品が並べてある。仏頂面の女性店員にじろりと見られる。客であるこちらが愛想笑いを浮かべながら、頭の部分に穴が開いたマトリョーシカ形のつまようじ入れを見つけた。

 「おっ、これはいいじゃないか」。意気投合する。商品がまた一つ増えそうだ。上機嫌で店を出ると、露天の花屋がひしめいていた。「マトリョーシカ形の花瓶もできるぞ」。作業所では、このように、どんどん試作を重ねてきた。

 本来のマトリョーシカは、胴体が上下に分かれ、中から一回り小さな人形が次々と現れる。ロシアでは、レーニンやスターリン、ブレジネフと歴代の指導者が次々に出てくるパロディーのお土産が有名だ。権力者の顔は変わっても、一皮むけば本質は同じ、と皮肉っている。

 抑圧的な社会だからこそ、人々はユーモアを忘れなかった。作業所に集う人たちも、そんな風に強く生きていってほしい、と願った。

 ▽実子2人失う

 二月下旬にベラルーシに入国して二カ月。ベラルーシを去る日が迫っていた。ステファンやナターシャと、五歳の孫娘が暮らす首都ミンスクに向かった。「遊園地に連れて行く」。その約束を果たすためだ。

 昨年二月に母を胃がんで亡くした孫娘はいま、ミンスクのアパートに暮らす。週末は大学教員の父が、平日は祖母のナターシャが交代で、育てている。

 ナターシャと同じ名前の孫娘は、絵を描いて待っていてくれた。花や雲と一緒に、受話器を持った女の子の姿が描かれている。週末にはゴメリに帰るナターシャに、よく電話をかけてきていたことを思い出す。

 お返しに、ドラえもんの絵を描いてみた。「ハラショー(いいんじゃない)」。大人びた口調で感想をもらった。

 遊園地は、ミンスク中心部のゴーリキー公園にあった。家族連れでにぎわっていた。はしゃいで走り回る孫娘に、ステファンは「汗をかくと冷えて風邪をひく」と心配する。原発事故後、長男と長女を相次いで失った夫妻は、とかく孫娘の健康が心配だ。

 「もう帰ってもいいわよ」。やんちゃな孫娘も遊び疲れたようだ。手をつないで家路につく。途中、公園外れの露店でシャボン玉を買った。孫娘が吹いて飛ばすと、大半はぱちん、ぱちんとすぐに割れた。いくつかが風に流され、そばにある川の上を飛んでいった。

 ▽孫娘と3人で

 ベラルーシを襲った二十年前の原発事故は、多くの人の運命を翻弄(ほんろう)した。ある人は家族を、ある人は故郷を失った。そして、苦難続きだった夫妻はいま、孫娘と三人で新しい家族を築こうとしている。

 ナターシャは言った。「彼女は私たちの希望なのよ」

 数日後、春の日差しに輝くシャボン玉を思い出しながら夫妻に別れを告げた。

 さようなら、チェルノブイリに暮らす人たち―。<敬称略>(滝川裕樹、写真も)

 「汚染地の家族―別れ」はおわります

【写真説明】ステファン(左)とナターシャ(右)に見守られて、シャボン玉を飛ばす孫娘のナターシャ。彼女の成長は、夫妻の希望でもある


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