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帰国して
被爆地の役割 ヒロシマ独自の貢献を ('06/5/10)

 チェルノブイリの取材に旅立つ前、ヒロシマの視点を忘れないよう、自らに言い聞かせていた。帰国した今振り返れば、「余計な心配」だった。被災地を訪ね歩き、民家にも住み込んだ二カ月余り、広島に暮らしている以上に、ヒロシマを強く意識させられた。

 ▽二面性が存在

 同じ放射線の被害を受けたベラルーシやウクライナの人々の、被爆地への親近感は強い。広島から来たことを告げると、ほとんどの人が温かく迎えてくれた。大阪など日本の大都市は聞いたことがないのに、広島は知っている人にも出会った。

 被爆地の医師らが取り組む支援は、現地に自立的な医療体制を芽吹かせようとしていた。広島県や市、医療・研究機関でつくる「放射線被曝(ひばく)者医療国際協力推進協議会」(HICARE)が、現地医師を広島に招く研修制度も医療レベルの底上げに貢献している。

 ただ、広島の存在意義には、二面性があることを思い知らされた。

 事故発生から五年後、国際原子力機関(IAEA)は、住民への放射線の影響を否定する報告書を発表した。調査には広島からも多くの研究者が参加していた。同じようにIAEAなどが昨年まとめた報告書は、被曝による死者数を「四千人」と限定的に見積もった。広島の被爆者のデータに基づいて算出された。

 どちらも、「原子力推進の意図的な過小評価」との批判が相次いだ。これらの調査が妥当かどうか、正直、よく分からない。ただ、調査は被害補償を低く抑えたかった旧ソ連政府や、原発推進機関であるIAEAに結果的に助け舟を出す形になった。「広島」の名前が、政治的思惑に利用されたと感じた人がいるのは事実だ。

 広島の蓄積は必ずしも万能ではない。チェルノブイリで小児甲状腺がんが急増した事実は、広島の定説を覆した。被爆者の甲状腺がんは原爆投下後十年以上たって増え始めた。子どもの甲状腺がんは極めてまれだった。現地で検診した広島の医師が異常事態を訴えたが、「広島の事例と違う」と聞き入れられなかったこともあった。

 被爆者の尊い犠牲の上に積み上げられたヒロシマの「成果」を、被災者救済にどう役立てるのか。因果関係が見えにくい放射線障害の被災者の声に耳を傾けたい。

 HICAREの活動にも課題はある。現地でどのような医療体制をつくり、どう支援していくのか、長期的戦略が見えにくい。被爆地として重要な事業は、市民の税金で運営されている。幅広く理解を得ながら充実させる必要がある。

 ▽活動根付かず

 世界で初めて核の被害を受けた被爆地から、市民や被爆者団体によるチェルノブイリ救援活動は根を下ろさなかった。反核メッセージの世界発信は重要だ。ただ、現地は医療充実など現実的な支援を求めている。核兵器と原発という原因に違いはあれ、ともに「世界のヒバクシャ」なのだ。

 原爆投下から六十年が過ぎ、市民がヒロシマの歴史的使命を意識することは少なくなった。チェルノブイリも事故から二十年。国際的に惨事の記憶は風化しつつある。

 だが、被爆者にがんが増えたのは、被爆二十年後ごろからだった。世界にはこれからもヒロシマを必要とする人たちがいる。軍隊や金を送るのではなく、広島にしかできない国際貢献があることを、忘れないでいたい。(滝川裕樹、写真も) 「原発事故20年 チェルノブイリに暮らす」は終わります。今月下旬からヒロシマとチェルノブイリのつながりを考える企画を連載します

【写真説明】放射線医学研究所で出会った少女。被災地の医療機関では、因果関係の見えにくい放射線の健康障害に対する息の長い取り組みが続く(ベラルーシのゴメリ市)


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