8月6日のヒロシマ

「核の傘」からの脱却 政府に求める
鎮魂ヒロシマ/各地で追悼式
原爆ドームに平和キャンドル囲む
「あの日」永遠に/写真グラフ
1997年8月6日 平和記念式典 映像アルバム

MENU

「核の傘」からの脱却 政府に努力求める

ドーム遺産化 世界平和願う象徴

広島被爆52周年 平和祈念式で平岡市長訴え

'97/8/14

 被爆地・広島は六日、五十二回目の「原爆の日」を迎えた。中区 の平和記念公園であった原爆死没者慰霊式・平和祈念式には、夜来 の雨も上がって約四万五千人(広島市発表)が参列した。平岡敬市 長は平和宣言で、「核兵器こそは、あらゆる暴力の頂点に位置する もの」と指摘、「核兵器なき世界」の実現を訴えるとともに、日本 政府に「核の傘」に頼らない安全保障体制構築への努力を強く求め た。

 午前八時、平岡市長と二人の遺族代表が、この一年間で亡くなっ たり、新たに死亡が確認された五千七十六人の原爆死没者名簿を原 爆慰霊碑に奉納した。六十九冊となった名簿の登載者総数は、二十 万二千百十八人となった。広島市に住む被爆者の平均年齢は六七・ 三歳と、高齢化が進む。

 今田智広島市議会議長の式辞に続き、遺族代表、被爆者代表、さ らに橋本龍太郎首相、伊藤宗一郎衆院議長、松尾官平参院副議長、 藤田雄山広島県知事、檜山俊宏広島県議会議長、伊藤一長長崎市長 らともに、世界平和連帯都市市長会議の参加者代表が献花した。

 「あの瞬間」を告げる八時十五分。「平和の鐘」とともに、参加 者が黙とうをささげた後、平岡市長が平和宣言。発効の見通しが立 たない包括的核実験禁止条約(CTBT)、米国の臨界前核実験の 強行などを危ぐし、「核兵器が今なお地球上から消え去っていない ことに、強い憤りを覚える」と訴えた。その上で「広島は日本政府 に対して『核の傘』に頼らない安全保障体制構築への努力を要求す る」と述べた。一方で、原爆ドームの世界遺産化は、「核兵器を否 定する人たちの願いの象徴である」とし、二十一世紀への希望を託 した。

 この後、子ども代表の小学生二人が、「みんなが力を合わせれ ば、平和の輪を築く大きな力になっていく」との「平和の誓い」を 読み上げた。

 平岡市長から、政府の積極的な対応を求められた橋本首相は「各 国にCTBTの早期締結を働きかけ、発効を早期に実現したい」と あいさつした。

【写真説明】祈り 約4万5千人が参列し、核兵器廃絶と恒久平和の実現へ誓いを新たにした原爆死没者慰霊式・平和祈念式(広島市中区の平和記念公園) 平和宣言を読み上げる平岡市長


平和宣言


 52年前のきょう、広島市の上空で原子爆弾が爆発した。一瞬、天は千の太 陽よりも明るく光り、巨大なきのこ雲が立ちのぼった。火の海の中で、多くの 人が死に、放射線障害は生き残った者を苦しめている。

 その事実は、今世紀に入って飛躍的に発達した科学技術文明のあり方に強い 疑問を抱かせる。科学技術は、人間の生活に快適さ、便利さをもたらしたが、 広島・長崎での大量殺りくの手段にも使われた。核兵器は人類の生存を危うく しただけではなく、それを生み出した文明は、地球環境にも大きな影響を与え るに至った。

 広島は、核兵器が今なお地球上から消え去っていないことに、強い憤りを覚 えるとともに、文明の未来に大きな不安を持つ。

 国際社会は、包括的核実験禁止条約の調印によって、核爆発を伴う実験の禁 止に合意したものの、条約発効までの道はなお険しく遠い。そのような折、米 国は条約に触れないと主張して「臨界前核実験」を実施した。一方で、核兵器 削減を約束しながら、他方で核実験に固執する態度は、人類共存の英知を欠く ものと言わざるをえない。核兵器こそは、戦争に代表されるあらゆる暴力の頂 点に位置するものである、とあらためて世界に訴える。 

 現在、広島で開催中の第4回世界平和連帯都市市長会議では、「核兵器なき 世界」を目指して、核兵器使用禁止条約の締結、非核地帯の拡大を各国政府、 国際機関に求める討議を進めている。広島は日本政府に対して「核の傘」に頼 らない安全保障体制構築への努力を要求する。   

 世界の国々、とりわけ近隣諸国民との間には、言語、宗教、習俗などが異な るだけではなく、歴史認識の違いも存在する。私たちは、世界の人々と率直な 対話を進めることによって、明日への希望を共有したいと願う。  世界が激しい転換期に入っている今日、私たちは暴力、破壊、死と結びつく 原爆被害の実相とともに、絶望的な悲惨を体験しながらも、なお未来へ向かお うとする人間の営みと生命のかがやきを、国の内外へあらゆる機会を通じて伝 えていきたい。広島の体験が再生の過程で生み出した平和の文化は、人類の希 望の灯である。そして、「原爆ド−ム」の世界遺産化は、核兵器を否定する人 たちの願いの象徴である。

 いま平和記念日を迎え、犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、 年ごとに高齢化していく内外の被爆者に対し、実態に即し、心のかよった援護 の方策を求めていきたい。

 「戦争は人の心から起こる、ゆえに平和の砦は人の心の上に築かれねばなら ない」―このユネスコ憲章の一節を胸に刻み、広島の決意とする。

  平成9年(1997年)8月6日

広島市長  平 岡  敬


PEACE DECLARATION August 6, 1997


It was 52 years ago today that a single atomic bomb exploded over Hiroshima. The skies flashed brighter than a thousand suns and a huge mushroom cloud rose above the city. Untold numbers perished in the sea of flames that followed, and the survivors still suffer from radiation's debilitating aftereffects.

This event engendered profound distrust of the scientific civilization that has made such dramatic progress over the last hundred years. Science and technology have spawned many conveniences and made our lives more comfortable, yet they have also been employed to create the weapons of mass destruction used over Hiroshima and Nagasaki. Not only do nuclear weapons imperil humanity's future, the civilization that created them gravely impacts the whole of the global ecosystem.

We in Hiroshima are outraged that nuclear weapons have yet to be abolished and banished from the face of the earth, and we are very uneasy about the future of civilization.

In signing the Comprehensive Test Ban Treaty, the international community agreed to put a halt to all nuclear explosions, but much remains to be done before the CTBT can go into force. This was the situation when the United States conducted a subcritical test which it contends is not banned by the CTBT language. On the one hand, the U.S. promises to reduce its stockpiles of nuclear weapons, and on the other hand it obstinately maintains its nuclear testing program. This attitude is utterly devoid of the wisdom needed if all peoples are to co-exist. We implore the global community to recognize that nuclear weapons stand at the very apex of all of the violence that war represents.

The Fourth World Conference of Mayors for Peace through Inter-city Solidarity currently meeting in Hiroshima seeks a nuclear-free world and is deliberating calling upon all governments and international institutions to conclude a pact banning the use of nuclear weapons and to expand nuclear-weapons-free zones. Hiroshima specifically calls upon the government of Japan to devise security arrangements that do not rely upon a nuclear umbrella.

Japan and other countries differ in language, religion, and customs, and there are also some differences of historical perspective, particularly with our neighbors. All the more do we hope that candid dialogue among all the peoples of the world will result in a shared vision of a brighter tomorrow.

With the world in tumultuous transition, we intend to take every opportunity at home and abroad to convey not only the terrible violence, destruction, and death the atomic bomb wrought but also the inspiring beauty of human life striving toward the future despite experiencing abject despair. The culture of peace generated in the process of Hiroshima's rebirth is a beacon of hope for all humanity, just as the Atomic Bomb Dome, now designated a World Heritage site, stands as a symbol of hope for all who reject nuclear weapons.

Along with paying our utmost respects to the souls of those who died, we pledge ourselves anew on this Peace Memorial Day to pressing for compassionate assistance policies grounded in reality for the aging hibakusha wherever they may live.

"Since wars begin in the minds of men, it is in the minds of men that the defenses of peace must be constructed." This thought from the UNESCO (United Nations Educational, Scientific and Cultural Organization) Constitution must be indelibly etched in our hearts, and I hereby declare it Hiroshima's resolve.

Delivered by Takashi Hiraoka

Mayor of Hiroshima




MenuTopBackNextLast

鎮魂ヒロシマ97/08/06

  平和の継承を誓う/家族しのび黙とう

 ▽広島市商高献花式

 広島市中区の平和記念公園内にある市商業高校原爆戦没者慰霊碑 前であった献花式には、遺族や同窓会(浅枝靖弘会長)の会員ら約 四十人が参列した。原爆投下時刻に黙とうをした後、遺族代表らが 「平和を受け継いでいく」と誓い、白い菊の花を碑前に供えた。

 初めて参列した安芸区矢野南四丁目、市商高教諭伊藤操さん(49) は「在校生や卒業生など戦争を知らない若い人と一緒に平和の尊さ を考えていきたい」と話していた。


【写真説明】慰霊碑に献花する遺族や市商業高校の同窓会員


 ▽第一県女追悼式

 第一県女(現皆実高)の追悼式が、中区小町の校舎跡にある「追 悼之碑」前であった。約百三十人が参列。校歌や「哀悼歌」を歌 い、犠牲になった生徒や職員ら三百一人をしのんだ。

 当時一年生で、今は碑の前で修学旅行生に被爆体験を語る梶山雅 子さん(64)=呉市神原町=は「生きていれば五十二年間の人生があ ったと思うと、やりきれない」と、死没者名簿に刻まれた同級生の 名前を指で追っていた。


 ▽広島大追悼式

 広島大学原爆死没者追悼式は、中区東千田町の広大東千田キャン パスで行われた。

 原爆死没者追悼の碑の前に、原田康夫学長をはじめ、遺族代表ら 約百人が参列。黙とうをささげた。

 原田学長は「広島大の学生や教員死没者は、今年で千三百三人に なった。この悲劇を二度と起こさぬよう、恒久平和を願う」と、追 悼の辞を述べた。


 ▽NTT慰霊式

 中区基町、NTT基町ビル正面玄関横の原爆慰霊碑前では、電気 通信業務に携わっていた六百四十五人を慰霊する式があった。

 遺族ら約百五十人が参列。原爆投下時刻に合わせて黙とうし、読 経の中、焼香や献花をした。中区西十日市町、無職大島啓さん(80) は「電話交換手だった当時十九歳の妹を亡くした。病院で頭に包帯 を巻いた姿が、今も忘れられない」と話していた。


 ▽中国郵政局慰霊式

 中区東白島町の中国郵政局の中庭では、被爆死した職員の遺族ら 約三百人が参列し、慰霊式があった。慰霊碑への献花の列が続く横 では、二年前に移植された被爆アオギリ二世が、一年間で七十センチも 生長。青々とした葉を茂らせていた。

 遺族の一人、安芸区中野七丁目の無職佐久間義明さん(76)は「妹 は被爆二日後に亡くなった。当時を思い出すのが嫌で、今でも平和 記念公園へ行けないんです」と話していた。


 ▽国鉄慰霊式

 中区の東白島公園で営まれた国鉄原爆死没者慰霊式には、約二百 人が参列。この一年間に新たに亡くなった二人を加えた二百八十八 人の死没者名簿を慰霊碑に奉納した。

 昨年九月に夫を亡くした片山昌子さん(64)=南区宇品海岸三丁目 =は「学徒動員中に被爆した夫は、退職したら平和運動を手伝いた いと話していた矢先に病で倒れ、十年間の闘病生活を送った。毎 年、正月に二人で慰霊碑を巡っていた。これからは私一人で続けた い」と話していた。


 ▽建設省慰霊式

 建設省(旧内務省)原爆殉職者慰霊式は、原爆ドーム前で遺族や OB、職員など約百人が参列。犠牲者五十二人を追悼した。

 同省は原爆で一瞬に消えた街、広島市猿楽町の県産業奨励館内に あり、中国四国土木出張所には九十三人が勤務していた。

 職場で編成した建物疎開で被爆死した石丸サツキさん=当時(20) =の弟で、会社員石丸貢さん(69)=廿日市市阿品台四丁目=が遺族 代表で献花。「悲しみの象徴だった原爆ドームが世界遺産化され、 爆心地の元住民たちが街を復元するなど今年は新たな思いで参列し ました」と話していた。


 ▽動員学徒追悼式

 広島県動員学徒等犠牲者の会(本地正雄理事長)の原爆追悼式に は、遺族ら約五百人が参列。原爆ドーム南の慰霊塔前で、若くして 命を絶たれたわが子や友人を悼んだ。

 黙とうに続き、皆実高生徒会長の田中ひとみさん(17)が「私たち 若い世代が原爆のむごさを語り継いでいく」と決意表明。遺族らが 次々に献花した。

 西区井口鈴が台一丁目、無職三角コユリさん(72)は「一人息子を 失った姉の遺言は『あなたが代わりに参って』だった。」と、目頭 を押さえていた。


 ▽「嵐の中の母子像」供養

 平和記念公園の「嵐の中の母子像」前では、市地域女性団体連絡 協議会による供養があり、約百人が参列。会長の森原清香さん(75) が代表献花した後、全員で「原爆を許すまじ」を合唱して平和を祈 った。  平和祈念式が終わると、折りづるを手にした旅行者らが次々と訪 れ、二人の子どもをかばう母親の像に祈りをささげていた。  


 ▽「不戦の碑」前で誓い新た

 中区加古町の不戦の碑(原爆犠牲新聞労働者の碑)では、遺族三 十人をはじめ、OB、新聞労連関係者ら約七十人が、原爆で命を奪 われた百二十六人のめい福を祈り、不戦の誓いを新たにした。

 おばを失った中区基町、主婦田村美代子さん(50)は「私たちのよ うな戦後生まれが増える中、被爆体験は風化しがち。新聞人は、使 命感を持って反核・平和の報道を続けてほしい」と要望した。


 ▽南方留学生、ユソフさんを追悼

 戦時下の政策でマレーシアから招かれ、被爆死した南方特別留学 生ニク・ユソフさんの追悼式が、佐伯区五日市二丁目の光禅寺内の 墓前で行われた。

 ユソフさんは、元の大手町にあった広島大学生寮で被爆。佐伯区 の楽々園まで逃げて息絶えた。式には生前の知人と、現在、広島大 に在籍するマレーシア人留学生四人ら約二十人が参列。住職の読経 の後、献花、献水をしてめい福を祈った。


 ▽記念聖堂では追悼ミサ

 中区幟町の世界平和記念聖堂では、約百人が参列して原爆犠牲者 追悼ミサがあった。  全員で黙とうをささげた後、カトリック広島教区司教総代理の早 副穣さん(71)が「地球は一つの家族。過去の教訓を忘れず、未来へ 生かそう」と語りかけた。

 参列した東区戸坂大上四丁目の主婦桂洋子(47)さんは「平和とい うものを常に心にとどめている。三人のわが子もその気持ちを理解 してほしいんです」と願っていた。


 ▽広島護国神社でも慰霊祭

 中区の広島護国神社では、旧軍人や学徒動員など原爆による死没 者の慰霊祭があり、遺族ら約二百人が参列した。

 水を求めて死んだ人々のため氷水が供えられ、祝詞や鎮魂の舞が ささげられた後、遺族が玉ぐしを奉納した。西区横川町一丁目の無 職辻弘さん(71)は「毎年参列し、学徒動員先の中区小網町で亡くな った妹をしのんでいます」と話していた。


MenuTopBackNextLast

原爆ドームに平和キャンドル囲む

'97/8/7

 子供たちが作った「ピースキャンドル」の光が六日夜、広島市中 区の原爆ドームを囲んだ。「世界の平和が私の夢」「みんなが仲良 く」。キャンドルに記した二十一世紀への平和メッセージが、ろう そくの灯にくっきりと照らしだされた。

 午後七時、三千四百個のキャンドルが、一斉に点火。牛乳パック にろうを流し込んだ高さ二十センチほどのキャンドルの外側に、色とり どりのクレヨンで描いた平和を願う絵や文字が浮かんだ。「二度と 核兵器が使われることがないように」と、原爆ドームの絵を描いた 広島市西区井口台三丁目、安田小六年梅谷はるかちゃん(11)が、じ っと見つめる。

 辺りがとっぷりと暮れると、世界平和連帯都市市長会議に参加し ていた海外の五十人も加わった。広島県山県郡加計町の県立安芸府 中高校二年の河口由佳さん(16)らが「スポーツや芸術を通して、戦 争のない平和な世界を作ろう」と「子供平和宣言」を読み上げた。

 ピースキャンドルは、広島青年会議所が今年初めて企画。先月十 五日から広島県内の小、中、高校生がピースキャンドルをつくっ た。米国ハワイ州など海外五つの広島県人会の子供たちも来日し て、製作に加わった。

【写真説明】原爆ドームを囲んだ3400個のピースキャンドル。明かりは「平和の灯」から採火した


MenuTopBackNextLast

「あの日」永遠に/写真グラフ

8月6日 夕刊

「あの日」永遠に

広島原爆52周年


黙とう
鎮魂の川面
レクイエム
平和の鐘


8月7日 朝刊

爆心のレクイエム

ヒロシマ52周年


世代を超えて
献花の人波
無言の訴え
灯ろう流し

MenuTopBackNextLast

1997年8月6日 平和記念式典 映像アルバム

■ご覧になりたい映像の写真またはタイトルをクリックしてください

8月6日
   早朝の祈り
 [30秒02] 284k
8月6日
   式典の模様(1)
 [29秒02] 245k
8月6日
   式典の模様(2)平和の鐘
 [30秒03] 380k
8月6日
   式典の模様(3)広島市長平和宣言
 [33秒03] 257k
8月6日   灯ろう流し  [37秒00] 386k

MenuTopBackNextLast