自力開発「制裁」で弾み/科学者の証言


インドの核開発を中心になって推進してきたラジャ・ラ
マナさん。「放射能汚染など大げさに語られていること
が多い」
(バングロール市)

 一九七四年五月十八日。インド・ラージャスタン州の人里離れた 砂漠地ポカラン。国内初の地下核実験を陣頭指揮した核物理学者 で、当時バーバ原子力研究センター所長だったラジャ・ラマナさん (72)は、すべての準備を完了し、観測地点から四キロ先の爆心地に目 を凝らしていた。

 爆発予定タイムより遅れること数秒、目前の大地が大きく盛り上 がる。「やった、成功だ」。ラマナさんは周りの人たちと握手を交 わした。衝撃波による激しい揺れは、実験成功の喜びを一層高めて くれた。

 爆発規模は十二―十五キロトン。広島型原爆とほぼ同じである。

 「核爆発装置の開発に取り組んだのは、六四年に中国が大気圏核 実験を実施したのが主な理由だ」。南インド・バングロール市の広 大な敷地内にある国立高等研究所。今もここで研究に取り組むラマ ナさんは、張りのある声で言った。

 「平和的核爆発」と彼が呼ぶ実験成功は、インドを「後進国」と 見なしていた西洋諸国へのチャレンジでもあった。実験後に起きた 米国などからの経済制裁。「それは逆にこれらの国々の戸惑いの大 きさを示すものだった」と、ラマナさんは振り返る。

 原発建設に重要な役割を果たした米国やカナダからの経済、技術 協力はストップした。当時核拡散防止条約(NPT)に加盟せず、 米ソに対抗し独自路線を取るフランスから核燃料などの一部は購入 できた。が、原発増設などに遅れが生じのは否めない。

 「経済制裁の影響は確かに大きかった。でも、半面、さまざまな 分野の核開発を自力で推進する力量を高めることにもつながった」  地下核実験成功から既に二十数年。この間に核兵器用高純度プル トニウムの備蓄量は約四百五十キロ、原爆八十個分に達すると言われ る。

 さらに短距離弾道ミサイル(百五十―二百五十キロ)実験に続き、 射程距離約千五百―二千五百キロの中距離弾道ミサイル「アグニ」の 実験にも成功した。

 「インドは既に原爆を完成させ、今は水爆開発に取り組んでいる と言うのは本当ですか?」。インドの「エドワード・テラー(米国 の水爆の父)」とも称せられるラマナさんに率直に現状を尋ねた。

 「私はもう十年も前に現場を離れている。知っているのは、イン ドが核兵器開発能力を持っているということだ」。ガードの固い政 府関係者と同じように、彼の口からは政府の公式見解以上のことは 聞き出せなかった。

 パキスタンの原爆保有の可能性についてラマナさんはこう推測す る。「原爆開発に必要な産業基盤がどれほどあるのか疑問だ。ある とすれば第三国が部品供給や技術援助しているからだろう。でも、 彼らがあると主張しているのだから、私はそれを受け入れるよ…」

 ラマナさんは、核保有国の中国よりもパキスタンの脅威を強調す る。「隣の国はインドにいつも問題を与えてきた。なぜかって…そ りゃ、彼らがどういう反応を示すか予測がつかないからだ」

 パキスタンで取材しながら、軍高官らから何度か「ヒンズー心 理」という言葉を聞かされた。その言葉には、「ヒンズー教徒(イ ンド人)は何をするか分からない」との意味合いが込められてい た。

 「原爆体験は広島でけで十分。長崎原爆は必要ではなかった」と まで言うラマラさん。「でも、われわれは自己防衛のために常に備 えておかねばならない。それもまた現実なのだ…」

 彼の言葉の裏にある隣国や核保有国への根深い不信感。核抑止信 仰から互いに抜け出すには、心にしみついたこの不信感を取り除く 作業から始める以外にないようだ。

 (田城 明編集委員)


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