「開発の歩みと世論」
核兵器容認の声高まる  ‖メニュー



 巨大な破壊力ゆえに「非人道兵器」と言われる核兵器。その開発 は常に「自国の安全保障のために」と進められてきた。インドとパ キスタンも例外ではない。インドは中国への、そしてパキスタンは インドへの脅威から核開発に乗り出した。一九七四年に核実験に成 功したインドの原爆製造能力を疑う者はいない。パキスタン政府 は、実験こそしていないが「製造能力はある」と公言する。自国民 ですら容易に見えない「核の壁」の内側。が、技術的には二つの国 とも既に「潜在核保有国」の域を越えていると見た方がいいのかも しれない。米国の研究機関が印パで実施した核意識調査が示すよう に、両国の圧倒的世論が核開発を後押ししてもいる。
(田城 明編集委員、写真も)


両国とも9割超す
NPT調印では相違

水爆研究にも着手? インド・パキスタン

「核意識世論調査」


 インド、パキスタン両国政府は現在、核兵器開発の道を残した 「核オプション」の立場を取る。原爆は保有していないが、必要な らいつでも造れるというものである。


 世論調査の「自国の核政策をどう思うか」との問いに、政府の立 場支持者と積極的な核兵器推進論者を合わせると、印パともに九〇 %以上が自国の核開発を認めている。核開発放棄を唱える人は、ご く少数にすぎない。

 インドの世論調査にかかわり、この調査を基に昨年『インドと原 爆』の書を米国の学者とともに著したジャワハラル・ネール大学院 大学准教授のアミタブ・マトゥーさん(34)=ニューデリー在住=は 「調査した九四年より今の方が核開発を支持する声は高まってい る」と見る。

 その背景に、九五年の核拡散防止条約(NPT)の国連での無期 限延長決議や、昨年九月の包括的核実験禁止条約(CTBT)の国 連決議を挙げる。

 「CTBTでは、インドが核保有国に期限を明示した軍縮を求め たのに対し、核保有国はそれにはこたえず多くの国を取り込みなが ら、まるでインドが軍縮に反対しているかのように孤立させた。そ のことへの反発は大きい」とマトゥーさん。


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 「NPTに調印すべきか」との問いに、インドではほぼ半数が 「どの状況下でも調印すべきでない」と答えているのに対し、パキ スタンでは核兵器の積極的推進論者を含め九〇%以上が「インドの 調印を条件に」加盟を認めている。

 NPTに加われば、核施設への国際原子力機関(IAEA)の査 察を受け入れなければならない。核開発の道を閉ざすか、困難にな ることは明らかだ。インドのNPT加盟拒否への高い数字は、核保 有国を意識したインドが、核開発に対し常に「フリーハンドでいた い」との強い意思の表れでもあるだろう。

 米国など核大国を意識したインドに対しパキスタンの核政策の判 断基準は、隣国の動向がカギを握る。NPT加盟に限らず、「どの ような状況下なら核兵器所持を放棄してもいいか」との問いにも端 的に示されている。

 「インドとカシミール紛争が解決した時」「インドの通常兵力の 優位が低下した時」などインドとの関係が上位を占める。これに対 しインドは「核保有国を含む時期を明示した軍縮計画が出た時」が 最も重要な条件となる。

 マトゥーさんはこの設問で、「インド人は今では中国よりもパキ スタンの核脅威を身近に感じているのが数字に表れている」と指摘 する。中国との関係改善が比較的進みつつある政治的背景が影響を 与えているようだ。


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 核兵器使用についてパキスタン人のほぼ全員が、「インドが国際 国境を越えて自国を攻撃する時」は「使用してもいい」と答えてい る。使用すれば核による報復は免れない。

 「屈辱よりも死を」―。英国からの分離独立後、半世紀にわたり インドと対立してきたパキスタン人には、宗教的な感情も絡んでそ んな思いを抱く人たちが目立つ。核使用への高い数字は、インドの 脅威を常に意識する人たちの絶望的な選択のように思えてならな い。

 一方、インド人の半数近くが核兵器は「どの状況下でも使用すべ きでない」と答えている。マトゥーさんは「インドにはガンジー、 ネールの平和思想がまだ残っており、それが道徳的な自制をもたら している」と言う。


‖水爆研究にも着手? インド・パキスタン‖
原爆数個を既に保持か
インド・パキスタンの主な核施設と軍事力


写真説明:パキスタンで唯一稼動のカナップ(カラチ原発)。 出力137メガワットだが、核疑惑を抱いたカナダから燃料や部品 の供給がストップしたこともあり、設備利用率は50%台にとどまって いる
(カラチ市外)


インドの原子力研究の歴史は長い。英国植民地下の一九三〇年代 半ばから理論研究が始まり、第二次世界大戦中の四〇年代初期には 少数の物理学者が核研究の進んだ米国カリフォルニア大学バークリ ー校などへ留学した。


 英国から独立一年後の四八年には原子力委員会が誕生、核エネル ギーの平和利用の道を探った。インドのジャワハラル・ネール初代 首相は、核エネルギー開発を推進しながらも、そのエネルギーを 「邪悪な目的に使用してはならない」と強調し続けた。

 しかし、六二年の中印戦争での敗北、二年後の初の中国の核実験 がインドの核兵器開発の引き金となり、七四年の地下核実験へとつ ながった。

 現在、インドには十基の原発をはじめ、使用済み核燃料からプル トニウムを取り出す三つの再処理施設、天然ウランを燃料として使 用する際に必要な七つの重水工場、五つの研究炉、燃料工場や高速 増殖実験炉などの核施設がある。

 しかも、六九年に稼働した米国製のタラプール原発二基以外は、 国際原子力機関(IAEA)による査察を一切受けていない。

 「原発の使用済み燃料からプルトニウムを取り出し、兵器用物質 として利用するのに何の障害もない」と、インドの核問題専門家ら は口をそろえる。  世界の軍備管理問題に詳しいストックホルム国際平和研究所(S IPRI)の報告では、インドは九五年末までに四百二十五キロの兵 器用プルトニウムを保有、原爆八十個の製造が可能だと推測してい る。

 インドでは既にさまざまな核科学分野の博士号取得者が、優に一 万人を超える。核施設ばかりでなく人材面からも、インドの核開発 技術が相当進んでいると見なすのが妥当だろう。

 ミサイル搭載のための原爆の小型化の研究や、一部には水爆研究 にも着手していると言われている。


 パキスタンに原子力委員会が生まれたのは五六年。「原子力の平 和利用」を目的に米国は六〇年、イスラマバード郊外の原子力科学 技術研究所に実験炉を建設した。これが最初の原子炉である。

 原爆開発のきっかけは、七一年の第三次印パ戦争で敗北し、東パ キスタン(現バングラデシュ)を失ったことだった。

 敗戦直後、首相に就任したばかりのズルフィカル・ブット氏は、 通常兵器で自国に勝り、核開発まで推進しているらしいインドに対 抗するには「原爆しかない」と、七二年一月、欧米で研究中の科学 者をも本国に集め核兵器開発を指示したと言われる。


 しかし、本格的な開発への取り組みは、インドが地下核実験に成 功した七四年以降。当時、オランダで研究中の冶金(やきん)学者 で、核科学にも詳しいアブドラ・ハーン博士が帰国し、陣頭指揮に 当たった。パキスタンの「原爆の父」と称せられるハーン博士の 下、科学者や技術者らは、首都にほど近いカフタに遠心分離機を完 成させ、原爆製造に必要なウラン235の取り出しに成功した。

 産業が発達していないため、当時必要な部品はドイツなど主にヨ ーロッパ各国の企業から買いそろえた。SIPRIなどはパキスタ ンが、九二年までに原爆八―十五個に相当する兵器用濃縮ウラン百 三十―二百二十キロを蓄積していると推定している。

 原発は七二年に稼働したカナップ(カラチ原発)のみである。九 八年の完成を目指して現在、中国製の原発がインダス川そばのチャ シュマに建設中である。パキスタンではカナップ以外の核施設はす べて何らかの形で核兵器開発に関係していると言われる。

 米国情報部などによれば、パキスタンは既に数個の原爆を保持し ているとの見方もある。インドに対抗しミサイル開発にも力をいれ ている。

 もし、インドかパキスタンのどちらかが国内世論などに押され核 実験を行えば、それを理由に相手国が実験を実施するのは必至と見 られる。そうなれば、解決のめどが立たないカシミール紛争とも絡 み、インド亜大陸の緊張が一気に高まる恐れがある。


「核意識世論調査メモ」

 インドとパキスタンの知識階層を対象にした核意識調査は、米国 インディアナ州のノートルダム大学ジョアン・クロック研究所が印 パ両国の調査機関や学者らと協力し実施した。インドではニューデ リーなど7都市、パキスタンではイスラマバードなど8都市で、1 000人を対象に直接インタビュー、前者は992人、後者は91 0人から回答を得た。弁護士、医師、芸術家、学者ら民間人のほか 軍人、政府職員、政治家ら公人も含まれる。調査はインドが199 4年9月〜11月、パキスタンが1996年2月〜5月にかけそれ ぞれ実施した。


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