禁・協 連携し募金運動/対立を超えて

明かせぬ苦しみに耐えて

「原爆は思い出したくない。でも、若い人に伝えるのが
私たちの務め」。自宅で「証言」する秋元さん

 さびついて、赤茶けたエンジンが、和歌山市紀三井寺のわかやま 市民生協の広場に展示されている。四十三年前、南太平洋のビキニ 環礁で、米国による水爆実験の「死の灰」を浴びたマグロ漁船第五 福竜丸のエンジンだ。

 今、一つの試みが進んでいる。長く対立関係にあった和歌山県原 水禁(旧社会党系)と同県原水協(共産党系)が、手を結び、エン ジンを東京・夢の島に展示されている船体に戻そうという募金運動 である。

 第五福竜丸は一九四七(昭和二十二)年、和歌山県古座町で建 造。ビキニ被災の後、文部省が買い上げ、東京水産大学の練習船に なった。老朽化し船体は廃棄されるが、エンジンは三重県の運搬船 に転売され、その後、熊野灘で座礁。昨年末、引き上げられ、わか やま市民生協が引き取った。

 両団体は同じテーブルにつき、幾度となく会議を開いた。募金活 動の呼び掛けや集会の持ち方をめぐり、「自分たちの側に都合よく 利用している」という批判も出た。しかし、募金は市民を巻き込ん だ県民運動に広がり、四百万円を超えた。

 「統一、分裂を繰り返してきたが、保存しなければという気持ち で一致できた」。県原水協の米田実事務局長(60)は振り返る。   ◆  ◆  ◆

 募金運動と軌を一にするように南海のヒバクシャを救援する「ブ ンブン・プロジェクト」も動き始めた。

 広島型原爆の千倍の威力を持つ水爆「ブラボーショット」は、マ ーシャル諸島の旧ロンゲラップ島民にも「死の灰」を浴びせた。

 島には、今も放射能汚染が残る。約四百人の島民は、「いつかは 古里に戻りたい」との思いを抱きながら、約二百キロ離れたメジャト 島に暮らす。しかし、東西一キロ、南北〇・五キロの小島には資源もな く、漁をするにも島民が持っている小船では、遭難の危険も高い。

 「歴史に書き込まれなかった南の島のヒバクシャを支援し、空白 の足跡を埋めなければ」。現地で六年間暮らしたフォトジャーナリ スト島田興生さん(57)=神奈川県三浦郡葉山町=が昨年、救援募金 とボランティアを呼び掛けた。

 近所の人や仕事仲間に輪が広がり、寄せられた約五百万円で四トン の漁船を購入。今月初め、東京、神奈川などから会社員や主婦、高 校生らボランティア約二十人が、千葉県富津市の造船所に集まり、 漁船を白いペンキで正装した。

 ボランティアは、交代で最低一年は島に常駐し、島民の相談相手 になる。「素人集団による広がりと楽しさのあるプロジェクトにし たい」と島田さん。一万二千キロ離れた南の島に贈る船は三十日、横 浜港から貨物船に積まれてマーシャル諸島へ向かう。

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 原水禁運動は、第五福竜丸事件を機に、全国で起こった署名運動 を出発点にする。その福竜丸のエンジンがこの三月、くしくも古里 に戻り、原水禁と原水協に恩讐(しゅう)を超えた合流を促した。

 和歌山県原水禁の藤原慎一郎事務局長(57)は言う。「しにせの看 板だけに頼っていては、取り残されてしまう。市民のボランティア 運動はいろいろな分野に広がり、先行している」。運動を支える後 継者不足は、広島、長崎も例外ではない。「できるところで互いに 連携する時代が、もうそこまで来てるんじゃないか」。藤原さんの 言葉は、全国の運動家に共通した思いでもある。


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