半世紀の「封印」解く/未来への遺言

第五福竜丸エンジン移設

夢の島にある船体との「再会」を目指す募金運動が
展開されている第五福竜丸のエンジン(和歌山市)

 北海道の最南端に位置する松前郡福島町。昆布採りに生きてきた 秋元松夫さん(72)は、第五十八代横綱千代の富士(現九重親方)の 父として知られる。だが、被爆者であることは、地元の人もほとん ど知らない。

 「息子に迷惑がかかっては…」。ヒロシマの記憶と体験を胸の底 にしまい込み、周囲にそれを決して明かさなかった。

 息子には、打ち明けた。中学を卒業し、九重部屋に入門する一九 七〇(昭和四十五)年のことである。「余計な心配は掛けたくなか ったが、親元を離れる今を逃したら、一生明かせない」という悲壮 な告白だった。以後、再び「封印」した。

 昆布採りの名手も、昨年末の脊髄(せきずい)手術の経過が芳し くなく、漁を休んでいる。六畳の居間にずらりと並ぶ横綱の優勝写 真を時折、目で追いながら語り始めた。「このごろ、やっと原爆と 素直に向き合えるようになってね」

 広島市宇品にあった旧陸軍船舶司令部(暁部隊)で、敬礼の訓練 中だった。「ピカッと光った途端、爆風で小屋も崩れた。道端に倒 れている人に、薬を付けたけれど、しょせん気休め。何百人も火葬 すると、夢か現実か、分からなくなった」

 入門してから息子は、大切な場所になると決まって肩の脱きゅう を繰り返した。「骨が弱いのは、原爆の影響に違いない」。何度も じだんだを踏み、「子供をつくったのが間違いだったのでは」と、 自分を責めたてたこともあった。

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 一度だけ証言したことがある。九一年に広島平和文化センターの 証言ビデオに請われて登場した。「北海道の人の目には、ほとんど 触れない」と聞いたから承諾した。

 それほどまでに、周囲の目を気にしてきた秋元さんが、最近、思 い始めた。「若い人に、あの体験を伝えるのが、わしたちの務めで はなかろうか」。息子の大成と寄る年波が、人生の総決算としての 「証言」に向かわせる。

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 岩手県内で暮らす被爆者は現在、百十三人。全国でも秋田、山 形、青森県に次いで少ないが今月、岩手被団協による二冊目の手記 集が発行された。そこで、初めて家族に打ち明けた被爆者も多い。  電信網復旧のため、広島市に入って被爆した盛岡市の菊池馨さん (71)は、三年前の第一集でも証言している。

 その時は匿名だった。自分や息子の縁談、そして孫の誕生…。さ まざまな人生の局面でも、決して被爆の事実を打ち明けることはな かった。

 ところが、手記集を開くと、「みんなは、ちゃんと名乗って訴え ていた。恥ずかしさと驚きが交錯して頭の整理がつかなくなった 」。葛藤(かっとう)を繰り返すなか、「未来への遺言のつもりに しよう」と踏ん切りを付け、今回は「菊池」の名を記した。

 手記を配布した県内の公立高校の生徒から、「岩手にも被爆者が いたの」と素朴な驚きの声が上がる。戦後半世紀を過ぎ、被爆者の 証言活動は一段落したと見られがちだが、東北ではスタートを切っ たばかりだ。

 岩手県内の被爆者の平均年齢は七一・四歳。「あと十年元気でい られるか、どうか。多くの人に伝えなければ」と、菊池さんたちは 口をそろえる。この十月、初めての「体験を語る集い」を開き、生 の声でヒロシマを訴える。


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