【8月6日〜15日・広島】

▽原子爆弾は人命と同時に救護・復旧のかなめになる官公庁、医療機関なども破壊した。6日夕、広島県庁・県防空本部が比治山の多聞院に仮設され、7日に東警察署旧下柳町)に移された。公式にわかっている市内の救護所は53カ所である。
▽7日、大本営は広島の被爆を発表する。
 「(一)昨八月六日広島市は敵B29少数機の攻撃により相当の被害を生じたり(二)敵は右攻撃に新型爆弾を使用せるもののごときも詳細目下調査中なり」
▽米国では7日、トールマン大統領が原爆投下を声明。「いまから16時間前、アメリカ空軍機は日本の最重要基地広島に爆弾1発を投下した。爆弾の威力はTNT高性能爆弾2万トンに相当する」と述べた。
▽8日、福山に空襲。大本営の発表は「B29六十機は八日午後九時半ごろ福山市付近に焼夷攻撃を加えた」
▽9日、長崎に原爆が投下された。大本営は即日発表。「(一)八月九日午前十一時ごろ敵大型機二機は長崎市に侵入し新型爆弾らしきものを使用せり(二)詳細目下調査中なるも被害は比較的軽少なる見込み」
▽10日、広島、長崎の空襲被害で日本政府は、スイス政府を通じて、国際法であるハーグ陸戦法規に違反すると米国に抗議した。
▽11日、焼け跡整理に残留学徒による「学徒決起隊」が結成され、広島文理科大学(現広島大学)に集合した。
▽14日、理化学研究所の仁科芳雄博士が、「原子爆弾」と確認する調査結果を発表した。10日に陸軍省などから派遣された専門家による調査の結果から判定したものである。しかし報道で市民が知ったのは、17日だった。
▽15日、昭和天皇が、終戦の詔勅を発表。「…敵ハ新タニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ惨害ノ及フ所真ノ測ルヘカラサルニ至ニ…」など、天皇の肉声が、この日正午からラジオで放送され、国民は戦争に敗れたことを知った。

【原子爆弾の原理】

 物質を構成している原子の中心にある原子核を人工的に壊すと、大量のエネル ギーが放出される。このエネルギー、多数の人を殺傷する兵器に使ったのが原子 爆弾。

 核分裂とは原子核が壊れること。核分裂物質の《ウラン235》または《プル トニウム239》の原子核に、まず1個の中性子がぶつかる。すると原子核は分 裂し、この時に2個あるいは3個の中性子が飛び出し、それと同時に多量のエネ ルギーを放出する。

 飛び出した中性子がまた別の原子核にぶつかって、同じように分裂し、多量の エネルギーと中性子をまた放出する。こうした核分裂をごく短時間に連続して起 こすと、瞬間的に膨大なエネルギーを生み出すことができる。


【三つの原子爆弾】

 核分裂を連続して起こすには、、一定量(臨界量)以上の核分裂物質が必要。 1945年8月6日の広島型はウラン235、7月16日の最初の核実験に使われた爆 弾と8月9日の長崎型はプルトニウム239を核分裂物質として使った。 米軍 は爆弾の形から、ウラン235による最初の原子爆弾の広島型を「リトル・ボー イ」、長崎型を「ファット・マン」と呼んだ。

 広島に投下された原子爆弾から放出されたエネルギーはTNT火薬に換算して 2万トン分の威力に相当すると言われたが、その後の研究で、実際には約1.5 万トンに相当したと考えられるようになった。しかし巨大なエネルギーを放出し たにもかかわらず、爆弾に詰められた10−30トンのウラン235のうち、核分裂 したのは1トン弱だったと言われている。


【人体の傷害】

 原子爆弾による傷害は人の体に、強い熱線と火災による「熱傷」、爆風で飛び 散った物が刺さったり、建物の下敷きになるなどした「外傷」、射線による皮膚 や内臓の「放射線傷害」もたらした。これらの被害は単独で、また複合して、人 々を殺傷した。被爆直後4−5カ月までは、放射線による障害が熱傷、外傷など と相乗作用を起こし、被爆者の症状をいっそう悪化させた。

 この急性障害の、主に放射線の影響によると考えられる障害が現れた。


【建物の被害】

 被爆後の広島は一面の焼け野原である。市の中心部を南へ向けて撮影した写真 には、延々とガレキの街が続き、所々に内部が焼けた鉄筋や鉄骨、レンガの建物 が残り、その向こうに広島湾と島の影が見える。原子爆弾の破壊に加え、9月に 襲った枕崎台風で被害はより決定的になった。1945年11月30日現在で広島県警察 部がまとめた建築物の被害は、全焼55,000戸、半焼2,290戸、全壊6,820戸、半壊 3,750戸、合わせて67,860戸となっている。

【「原爆」の呼び名】

 原子爆弾を、被爆者たちはそのセン光と衝撃音から「ピカドン」と呼んでいた。 「娘はピカでやられました」と言うようなこともあった。原子爆弾を略して「原 爆」という言い方も被爆翌年には使われている。

【学校の戦災被害】

 10月に広島県内の学校の戦災被害がまとまった。うち広島市は〈校舎の全壊・ 全焼〉が国民学校21校、青年学校9校、中等学校21校、大学・高等専門学校3校。 〈死亡した生徒〉は国民学校約2,000人、青年学校約300人、中等学校7,172人、 大学・高等専門学校約400人、合わせて1万人。まだ判明していない死者が多い ことを考えると、大きな犠牲だった。