中国新聞社

人類は生きねばならぬ

世界中に子どもの平和像
新たな発信
'98/7/30
(8)若者たちの夢

原爆の子の像の前で、子どもの平和像について話し合う大井君(左から2人目)と平和ゼミのメンバー
 米少年のアイデアに触発

 曇り空にセミしぐれが響く。広島市中区の平和記念公園にある原爆の子の像前に二十六日、広島高校生平和ゼミナールの二十人余りがたたずんだ。世界各地に「子どもの平和像」を建立する夢を語った。

 「この原爆の子の像も子どもたちが提案したんだ」「子どもが考え、作ることに意義があると思うんだ」「未来、自由、世界をキーワードにしては?」…。若々しく、夢は弾んだ。

 像の除幕目標は二十一世紀がスタートする二〇〇一年一月一日。来月五日、広島で開かれる全国高校生平和集会で、市立基町高校三年の大井赤亥君(17)=南区仁保新町=がアピール文を読み上げる。

 二年前の原水禁世界大会の席上だった。米国の十三歳の少年が、軍事産業で発展した米・アルバカーキ市での「子どもの平和像」づくりの取り組みを紹介した。

 原爆の子の像のモデルになった佐々木禎子さんの話に感動した米国人小学生が発案。世界中から募金が寄せられ一九九五年、完成したのだった。「子どもの手で、世界の子どもの平和像を建てたいんだ」と少年は締めくくった。

 この一言が、平和運動に携わる被爆者や教師らの胸に染み込んだ。昨年春、準備会を結成し、全国の平和ゼミや人権問題に取り組む高校生らにボールを投げ掛けた。

 「原爆の子の像」は原爆による白血病で亡くなった禎子さんの級友が呼び掛けた。平和ゼミの先輩は原爆がわらで「原爆犠牲ヒロシマの碑」を作った。京都・綾部中の生徒が中心になって長崎に「ふりそでの少女像」を建てている。

 「君たちも若いアイデアを生かして、取り組んでみてはどうか」 今年三月、全国の高校生二十八人が広島市に集まり、準備会が旗揚げした。「世界五大陸にそれぞれ建てる」「インターネットで国境を越えよう」と提案が相次いだ。議長を務めた大井君はアピール朗読役を引き受けた。

 東京生まれ。小学四年の時、大学教授の父の転勤で広島に来た。高校に入学した時、沖縄の米兵による少女暴行事件で基地撤去運動が盛り上がった。それがきっかけで平和ゼミに入った。

 インドに対抗し、パキスタンが核実験をした翌日の午前五時、平和ゼミの指導教諭から実験実施のファクスが入った。登校前、新聞への投稿文を一気に書き上げた。

 「核兵器を持たないことが、どれだけ勇気がいり、正しいことかを両国は知ってほしい」。像建設への思いをさらに強くした。

 被爆者らが近く、「サポーターの会」を発足させる。資金集めなどで協力する。日本被団協の山本英典事務局次長(65)=東京都三鷹市=がエールを送る。

 「原爆の子の像に米国の子どもが感動し、それをまた、日本の子どもが受け止める。世界に広がれば素晴らしい」

 全国高校生平和集会では、大井君は綾部中生徒が合言葉にしていた英語を声高に言おうと考えている。「You are sure、you can(きっと、できる)」

おわり

 企画「人類は生きねばならぬ」は報道部の西本雅実、山根徹三、金森勝彦、佐藤泰造、白築健が担当しました。

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