99/6/22

ヒロシマの記録−平和都市法50年  未完の「平和記念公園」




広島平和記念公園及記念館競技建設当選図案


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1等  東京大助教授の丹下健三氏(当時36歳)グループ4人の作品が、応募作145点の中から1等となり、49年8月6の平和祭で発表される。賞金は7万円。丹下氏は旧制広島高校の出身で46年秋、戦災復興院(現・建設省)から派遣されて広島の復興調査にもかかわった。95年の中国新聞「検証ヒロシマ」インタビューで、「私は原爆の悲惨さが分かってこそ平和は生まれると考えました。それでドームをシンボルに、百メートル道路(平和大通り)から見通せる設計にしたんです」と語った(藤本千万太氏の寄贈による広島市公文書館所蔵の図案はがきから)
▼2等
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2等  山下寿郎設計事務所(東京都)の作品(左)は、元安川の川岸そばに記念塔を建てるのが特徴。荒井龍三氏(横浜市)の作品(右)は、記念館を平和大通りから奥に配置する案だった。山下氏(83年死去)は、後に国内初の超高層ビル、霞が関ビルの設計を手掛ける。広島市は、競技設計に当たって、公園内に各国際会議場のできる集会場▽原爆災害の各資料を集めた陳列室▽平和を祈念する鐘をつるした平和塔などを有する建造物を求めていた(日本建築学会「建築雑誌」49年10・11月号から。京都大工学部建築系図書室所蔵) 3等



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