中国新聞社

99/7/13

ヒロシマの記録-遺影は語る  中島本町Ⅰ


死没者名簿(続)


松野 友三 松野 友三(36)
陸軍主計大尉妻と子どもの5人がいた安佐郡祇園町(安佐南区)の疎開先を訪ねて泊まり、中島本町80番地の自宅に戻る。広島城にあった中国軍管区司令部に自転車で向かう途中、相生橋付近で吹き飛ばされたらしい。

長男 喬 長男 喬(14)
市立中(現・基町高校)2年爆心900メートルの小網町(中区)の建物疎開作業に出て被爆。西区新庄町の竹やぶまで逃げて「祇園にお母ちゃんがいる」と言って亡くなったという。市立中は動員作業中の生徒や職員約370人が死去。

義母 隅田一代 義母 隅田一代(54)
自宅跡の防火水槽そばを掘ると、コークスのようになった遺骨が見つかる。

粟根 修蔵 粟根 修蔵(51)
元証券会社勤務江戸時代からあった中島本町16番屋敷(80番地)の自宅で爆死45年7月まで、義理の妹家族4人が同居していた。遺骨は、平和記念公園の造成工事が始まった際に崩れ落ちた土蔵跡から見つかる。
東 泰秋 東 泰秋(やすとき)(41)
元呉服商警防団員を務め、中島本町80番地の自宅で爆死中島国民学校6年の長男を双三郡三良坂町に学童疎開させ、8月3日には妻子4人を義理の姉が住む呉市へ送り、4日に一人で戻る。兵庫県西宮市に住む87歳の妻は「自宅かわらの下にあった骨をつまむと、砕けそうになりました」。
前田 文子(37)
自宅は中島本町41番地。家族4人が全滅松本商業(現・瀬戸内高)英語教諭だった夫は46年、フィリピンから復員して妻子の死去を知り、戦後は一人暮らし。69年に死去。(注・遺影なし)

長女 恵子 長女 恵子(15)
市立第一高女(現・舟入高)4年4年生は学徒勤労隊として日本製鋼所広島工場(南区)に昼夜4交代で出ていた。

二女 滋子 二女 滋子(14)
県立第一高女(現・皆実高)2年南観音町(西区)の広島印刷に動員されていたが、6日は出ていなかったらしい。中区小町の平和大通り緑地帯の県女跡に建つ慰霊碑に名前が刻まれている。

長男 栄太郎(12)
市立中(現・基町高)1年1・2年生は爆心900メートルの小網町(中区)での建物疎開作業に動員され、353人が死去。(注・遺影なし)

吉沢 芳子 吉沢 芳子(39)=上(右)
和菓子「梅園」。中島本町45番地の自宅で爆死子どもと姉の6人のうち、5人が爆死。長男は、広島工業専門学校(現・広島大工学部)で被爆。「自宅跡で見つかった骨は砕け、埋め立て地の半地下式の防空壕では、遺体がかちんかちんの木炭のようになっていた」。夫はシベリア抑留を経て47年に帰郷

長女 美智子 長女 美智子(15)=下(左)
市立第一高女(現・舟入高)3年動員先の工場が電休日のため 自宅にいた。3年生は45年3月から日本製鋼所広島工場(南区)と関西工作所(中区)に分かれ、雷管や25ミリ機銃弾の製造に動員されていた。

二男 統(おさむ)(13)=上(中)
修道中1年市役所近く雑魚場町(中区国泰寺町)での建物疎開作業が休みで自宅にいた。

二女 弥恵子(7)=上(左)
中島国民学校1年安佐郡祇園町(安佐南区)の疎開先から伯母に連れられて4日、帰宅していた。

姉 ヒナヨ(55)=下(右)
損害保険統制会に貸していた旧店舗部分が取り壊されることになり、疎開先から手伝いに戻っていた。

土肥 ヨヲ
生徒手帳
土肥 ヨヲ(60)
洋反物店「大津屋」遺骨は不明。燃料会館(現・レストハウス)西隣の中島本町48番地の自宅が3月に建物疎開と決まり、家族は安芸郡奥海田村(海田町)へ移ったが、県立第一高女に入学した孫と中島本通り北側の別宅にいた

孫 菊枝孫 菊枝(12)
県立第一高女(現・皆実高)1年小網町(中区)一帯の建物疎 開に動員されて被爆。母が、長女がいたと聞いた防空壕で名前入りの「生徒必携」手帳=写真=を見つけるが、遺骨は不明。
大隅 茂吉 大隅 茂吉(55)
写真館「大隅洋行」中島本町47番地の自宅で爆死したらしい 妻と2人。応召中の養子の妻らが8日、徳山市の疎開先から捜しに 来たが、遺骨は不明。

妻 フミ 妻 フミ(不明)
遺骨は不明。

穂下 栄松 穂下 栄松(65)
穂下写真館遺骨は不明妻と二男の3人家族が全滅。ロシア・ウラジオストクで始めた写真館を、大正末期の20年代前半に中島本町50番地で開業。建物疎開になったため、本川橋東詰め4番地の藤岡歯科跡へ妻と移っていたらしい。藤岡家族は佐伯郡大野町に疎開。本川橋のたもとで倒れていたのを住民が目撃。

妻 モト 妻 モト(55)
遺骨は不明。

二男 栄 二男 栄(31)
結核を患い自宅奥の蔵2階で療養していた。中国から復員した弟が46年夏、蔵跡を掘り返し、遺骨を確認。フィルムのガラス乾板は溶けて塊になっていた。

高橋 脩 高橋 脩(43)(左)
高橋写真館遺骨は不明妻と二男の3人。中島本町35番地に20年代、写真館を開く。警察補助員として空襲警報のたび本川に面した派出所に出ていた。長男は4月に入学した安芸郡江田島町の海軍兵学校から、きのこ雲を見る。

妻 よし子 妻 よし子(40)
自宅で爆死したとみられる。

二男 力(つとむ)(12)(右)
市立造船工業(現・市商業高)1年遺骨は不明。造船工業の1年生は、中島本町南隣の材木町にあった瀬川倉庫の疎開跡片付けに出て194人が全滅。

秋山 徳一 秋山 徳一(不明)
仕立て「高田屋」 被爆場所や遺骨は不明妻が病死後は、一人娘との2人暮らし。81歳になる妻のめいは「叔父親子のことは気になりましたが、私も夫としゅうとを原爆で亡くし、確かめる余裕はありませんでした」。

長女 俊子 長女 俊子(14)
県立第一高女2年遺骨は不明。町内の前田滋子(爆死)とともに広島印刷(南区)に動員されていた。

恵南 則雄 恵南 則雄(42)
海産物恵南商店観商場でカキやアユを売り、自宅は中島本町34番地の2。遺骨は不明妻と子の5人。山陽中5年の長男は、動員先の爆心4・3キロの三菱重工業広島造船所で被爆し、その日に自宅近くまで入る。

妻房代ら 妻 房代(40)(中)
遺骨は不明。

三男 周三(14)(右)
県立広島商業3年爆心2キロの皆実町(南区)に移っていた学校へ向かい被爆。安芸郡海田市町(海田町)方面の国民学校に運ばれたとの連絡を受け、親族が髪の毛を持ち返る。8日死去。

四男 司郎(12)(左)
山陽中1年爆心600メートルの白神社(中区中町)付近で被爆し、江波町(中区)の祖父宅で11日死去。

石川 利三 石川 利三(51)
元「ブラジル」支配人中島本町34番地の2の自宅で爆死妻と子の5人。爆心1キロの市役所1階で被爆して助かった当時21歳の二女が9日、「トタン屋根の下にあった父親の遺体を見つけ、警防団の人に焼いてもらいました」。遺骨をハンカチでくるみ、学徒動員先で被爆した妹や弟に両親の死を告げる。35年ごろ閉店した「ブラジル」は、戦前名をはせた3階建ての西洋料理と喫茶のカフェー。

妻 梅代 妻 梅代(44)
爆死。

瀬良 義一 瀬良 義一(44)
手ぬぐい縫製中島本町34番地の2の自宅で爆死4日、モモを携えて妻子4人がいた牛田町(東区)を訪ねる。広島女学院高女1年だった二女は「それがお父さんに会った最後でした」。本川国民学校3年の三女は双三郡に学童疎開。

母 トモ 母 トモ(60)
二男の国男家族と下松市にいたが、国男が広島で入隊することになり、5日に戻ってきたらしい。

弟 国男 弟 国男(36)
母や兄と一緒に爆死。戦後、中島本町の自宅跡は畑となり、掘り返すと親子3人とみられる遺骨が出てきた。

加川 ギン 加川 ギン(63)
八百屋中島本町34番地の自宅で爆死したとみられる。遺骨は不明四女と2人。四男は宮崎県から復員したが、長男と二男はフィリピンで、三男は中国で戦死。

四女 芳江 四女 芳江(21)
市信用組合(現・広島信用金庫)勤務出勤途中の相生橋で被爆し、安佐郡可部町(安佐北区)の寺に運ばれて9日に死去。一緒に焼かれた無数の遺体の中から、四男が遺骨を引き取る。

土井 初枝 土井 初枝(39)
中島本町34番地の自宅前、慈仙寺の境内で倒れていた男女の中から、夫が金歯で確認して9日、賀茂郡東高屋村(東広島市)の郷里に遺骨を持ち帰る。出迎えためいの前で「好物だったそうめんを供えてやってくれ」と号泣夫と2人。
今中 フサ(48)
今中果物店中島本町33番地の2の自宅炊事場で爆死夫と義母、子どもの6人。夫はビワを仕入れに行った爆心1・6キロの観音本町(西区)、鉄道員の三男は2キロの広島駅、広島二中(現・観音高)2年の四男は、イモ畑の草取りに動員された駅裏の東練兵場で被爆。夫が自宅跡にあった妻と母、長男とみられる黒焦げの3つの遺体を家族と思い処理。(注・遺影なし)

長男 彰 長男 彰(24)
麒麟麦酒(キリンビール)広島工場勤務古田町古江(西区)に祖母と疎開していたが、3日前に戻っていた。

義母 トモ(74)
爆死。(注・遺影なし)

山田 信一 山田 信一(68)
歯科医中島本町33番地の2の自宅で爆死妻と二男の家族3人が全滅。歯科医の長男が実家跡で、歯形で遺骨を確認。

妻 千代乃 妻 千代乃(58)
爆死。

二男 純実 二男 純実(すみたね)(23)
医学生夏休みで大阪から帰省していた。

浜井 二郎 浜井 二郎(46)
浜井理髪館中島本町33番地の1の自宅で爆死5人家族のうち4人が死去。佐伯郡宮内村(廿日市市)に縁故疎開していた国民学校5年の二男は8日、親族の自転車に乗せられて市内を回る。「私を納得させるためだったのでしょう…」。ほうろう引きに納めた遺骨の判別はできなかった。

妻 イトヨ 妻 イトヨ(35)
爆死。

長女 弘子 長女 弘子(14)
安田高女3年楠木町(西区)の誉航空軽合金に動員されていたが、体調を崩し自宅にいたとみられる。

長男 玉三 長男 玉三(12)
修道中1年雑魚場町(中区国泰寺町)の建物疎開に隔日で動員されていたが、6日は休みのため自宅にいたらしい。

佐藤 弥七 佐藤 弥七(63)
印判「佐藤信保堂」中島本町32番地の1の自宅で爆死したらしい妻と2人。45年末に復員した一人息子は「戦地に行かなかった者が死ぬとは…」と、何もなかった自宅跡に立った思いを振り返る。

妻 ユクノ 妻 ユクノ(58)
慈仙寺鼻に住んでいた姉の頼政タキノ、妹の吉丸イセノの3姉妹が爆死。

吉丸 イセノ 吉丸 イセノ(53)
慈仙寺境内の借家(地図では不明)で爆死。兵役で呉海軍工廠にいた長男が8日ごろ捜したが、遺骨は確認できなかった二女と2人。

二女 ツトメ 二女 ツトメ(20)
横川方面(西区)の徴用先で被爆し、高田郡向原町の国民学校内にあった広島第二陸軍病院・向原分院に運ばれたが13日、死去。

立野 峯三郎夫婦 立野 峯三郎(61)(左)
立野玩具中島本町32番地の店の東側一帯が建物疎開となり、妻と一緒に古田町高須(西区)の住まいから勤労奉仕に出る。中島本通り南、77番地の本家に立ち寄ったらしく、金歯で遺骨を確認妻と2人。島根県にいた三女は、高須に駆け付けたときの様子を「ものがあって人間がおりませんでした」と言った。

妻 初代(54)(右)
店裏のかまど付近で遺骨を確認。

吉岡 敏雄 吉岡 敏雄(15)
山陽工業学校(現・山陽高)4年動員中の日本製鋼所広島製作所が電休日のため、中島本町32番地の3の自宅にいた。遺骨は敷地井戸の中で祖母とともに見つかるネル店を営んでいた両親らは5日、二女の出産祝いに元宇品町(南区)に出かけて泊まっていた。

祖母 サダ 祖母 サダ(87)
牛田町(東区)に疎開していたが帰宅。敏雄と井戸に逃げたとみられる。

義姉 信子 義姉 信子(30)
敏雄の兄が戦死し、実家の豊田郡安芸津町にいたが、長男を連れて荷物を取りに戻る。建物疎開作業に出たらしく遺骨は不明。

おい 節郎(4)
信子の一人息子。遺骨は不明。(注・遺影なし)

福原 信作 福原 信作(64)
福原婚儀飾店中島本町32番地の5の自宅跡で遺骨を確認妻と三女、帰省中の長女と孫の5人のうち4人が爆死。三女は陸軍運輸部の井口事務所に向かう途中に爆心2・5キロの己斐駅で被爆。

妻 ハヤ 妻 ハヤ(59)
自宅跡で、長女と抱き合うような遺骨が見つかる。

長女 横竹 玉恵 長女 横竹 玉恵(37)
天満町(西区)の自宅から安佐郡古市町(安佐南区)への疎開を控え、長女を連れて実家に戻っていた。

孫 裕江 孫 裕江(8)
遺骨は不明。

二女 沢 伊都子 二女 沢 伊都子(32)
安佐郡緑井村(安佐南区)から建物疎開作業に出て被爆し、10日後に死去。

死没者の氏名(年齢)
職業被爆死状況1945年8月6日の居住者と、ほかの家族らの被爆状況=いずれも肉親遺族の証言と提供の記録、公刊資料に基づく(敬称略)

久保 寿一一家 久保 寿一(58)(右)
茶道具販売「清風軒」中島本町32番地の2の店先で、歯形によ り遺骨を確認高田郡船佐村(高宮町)に学童疎開していた三男は「母がいた牛田町(東区)の疎開先に週末は帰るはずが、知人宅の建物疎開を手伝うため、中島にとどまっていたようです」

二男 恒男(29)(中)
遺骨は不明。

二男の妻 弘子(23)
モンペの下に携えていたがま口で遺骨を確認。(注・遺影なし)

二女 昌子(21)(左)
広島陸軍病院勤務遺骨は不明。町内の松野大尉(爆死)の紹介で病院主計課に勤めていた。

久保 秀夫 久保 秀夫(56)
漆器卸「大本商店」中島本町32番地の6の自宅から、元安川につけていた所有の小舟を見に行き、己斐国民学校(西区)の救護所で6日死去。遺骨は不明妻と子の5人。旭兵器製作所の地御前工場(廿日市市)に動員されていた実践高女2年の三女が8日、自宅跡で父の収容先を聞く。「意識があったと言われ、生きて会えると捜しましたが、結局見つけることはできませんでした」

妻 喜久枝(47)
爆死。三女は「母は蔵の前で黒焦げになっており、頭部は池に落ちていました。周りの木切れを拾い集めて焼きました」。(注・遺影なし)

長女 金子 利子 長女 金子 利子(25)
屋根がわらの下にあった遺骨を納める。夫が応召となり、同居していた。

二女 冨美子 二女 冨美子(19)
帝国銀行(現・さくら銀行)広島支店勤務爆心360メートル、現在は広島アンデルセンとなった革屋町(中区本通)の支店に出勤し、遺骨は不明。

上村 艶子(37)
亀田屋楽器店。てるてる食堂中島本町32番地の1の自宅で爆死したとみられる。4人目の子どもがおなかにいた。遺骨は不明夫と長女の3人。夫は、配給統制で中島地区の食堂10数軒が集まり、44年ごろ開いた切符制による配給食堂の経営に参加。(注・遺影なし)

長女 典子 長女 典子(4)
遺骨は不明。

沢村 軍蔵 沢村 軍蔵(57)
沢村印刷店勧商場入り口で39年ごろ、印刷店を開業。自宅は舟入本町224番地。6日は町内から本川地区(中区)の建物疎開作業に出て、10日に死去。

妻 シヅコ 妻 シヅコ(50)
爆心1・5キロの自宅で焼死したとみられる。遺骨は不明。

矢野 源一(32)
矢野靴店中島本町27番地の2の自宅で爆死妻子との5人家族のうち、祖母がいた高田郡向原町に疎開していた3歳の長男を除き、死去。埼玉県川口市で健在の長男は「家族の写真すら残っていません」。

妻 コユキ(27)
夫のそばで遺骨が見つかる。

長女 千鶴子(14)
進徳高女3年爆心1・6キロの広島貯金支局(中区千田町)に 動員されていた。遺骨は不明。

二男 賢二郎(生後9カ月)
遺骨は不明。

唐川 新太郎 唐川 新太郎(55)
唐川自転車商会自宅は中島本町27番地。爆心直下の細工町(中区大手町1丁目)の島病院に入院していた。遺骨は不明妻と長男の5人。妻は、衣類を疎開させていた安佐郡緑井村(安佐南区)を訪ねて戻る途中だった。

長男 平八郎 長男 平八郎(3)
遺骨は不明。

長女 黒田 冨美代 長女 黒田 冨美代(27)
夫が戦死し、実家に同居していたらしい。遺骨は不明。

二女 福島 朝子(20)
新婚先から自宅に戻り、平八郎の子守をしていたらしい。遺骨は不明。(注・遺影なし)

三宅 隼作 三宅 隼作(59)(右)
三宅薬局爆死。自宅は中島本町27番地妻と子の4人が死去。双三郡三良坂町に学童疎開していた中島国民学校6年の一人息子は「お寺に兵庫県から迎えに来た叔父と自宅跡のかわらを掘り返し、骨を拾いました。正直思い出したくないし、今も忘れたい気持ちです」。30代の石川、10代の福島という名の男性店員3人と、お手伝いの女性1人が働いていたが、詳細は不明。

妻 皐月(34)(左)
爆死。

二女 千歳(22)
大阪薬専(現・大阪大薬学部)在学夏休みで帰省していたらしい。(注・遺影なし)

三女 美枝(19)
広島鉄道局勤務遺骨は不明。(注・遺影なし)

浜内 一枝 浜内 一枝(31)
浜内金物店夫の実家があった能美島(佐伯郡)から5日、中島本町27番地に帰宅。兄弟が自宅跡で遺骨を確認娘と2人。夫はビルマ(現・ミャンマー)から復員し、中島本町で金物店を再開し、58年ごろ神戸に転居。

長女 敬子 長女 敬子(7)
中島国民学校2年爆死。父は戦後に再婚し、生まれた長女に「けい子」と名付ける。神戸市に住む娘は「亡き父と8月6日の灯ろう流しに何度か参加しました」。

藤井 順一 藤井 順一(61)
藤井商事移住したハワイから戻り38年、現在の中区中島町1番地にあった元住友銀行広島支店を購入し、日本食や雑貨輸出を手掛ける。町内会長を務めていた中島本町の南隣、材木町22番地の自宅で爆死。

二男 春雄 二男 春雄(28)
材木町の「山本自転車修理」に出かけて爆死。

二男の妻 ツヤ子 二男の妻 ツヤ子(25)
中島本町の別宅で被爆し、佐伯郡五日市町(佐伯区)まで逃げて14日死去。

滝宮 純一郎 滝宮 純一郎(63)
古物商中島本町18番地の自宅西隣の「槙野」(詳細は不明)宅で、囲碁をしていたらしい。17歳の二男が8日、ほとんど灰になっていた2人の遺骨を納めて紙に包む妻と子の4人。松本工業学校(現・瀬戸内高)1年の三男は、動員先の爆心1・8キロの比治山橋(南区)で被爆し、12日、廿日市国民学校の救護所で兄と再会。

妻 ハナ 妻 ハナ(49)
自宅台所跡で遺骨を確認。

二女 美智子 二女 美智子(20)
八丁堀(中区)で被爆し、遺骨は不明。

藤岡 ミツヱ(28)
遺骨は不明中島本町43番地の1の三井生命広島支店・支社に、家族で住み込み勤務し、夫が応召後もいたらしい女性社員が85年に自費出版した史誌は「部長と社員8人が死亡」と記述。廿日市市の正覚院にある会社の慰霊碑は「山中八重子」「山中シゲ」の名前を刻み、いずれも「昭和20年8月31日戦災死」とあるが、詳細は不明。(注・遺影なし)

長女 嬉子(2カ月)
爆死。遺骨は不明。(注・遺影なし)

景山 清美 景山 清美(34)
広島西消防署消防手広瀬北町(中区)の自宅から、中島本町18番地の広島西消防署中島出張所へ出勤途中に被爆し、7日から救護活動に従事。9月5日、妻がいた山県郡豊平町で死去。83歳になる妻は「枕元から跡継ぎができたと喜んでいました…」。長男は46年7月15日病死。
 広島西消防署消防手、河原作一(36)同、木村三吾(27)同、満野年秋(17)=中島出張所で爆死同、仲川辰男(17)=出張所で被爆し、8月14日死去同曹長、長門檪(40)=非番となり、帰宅途中に被爆して8月死去。
 呉消防署派遣消防士補、弓場正一(41)同曹長、友澤義任(37)同消防手、岡本義昭(18)=中島出張所で爆死同、永元昭三(不明)=呉市へ運ばれた直後に死去。以上は「原爆広島消防史(75年刊)から。
綿貫 満寿子 綿貫 満寿子(57)
呉服「ほうねんや」中島本町14番地。町内の婦人会長として建物疎開作業に出たらしい。遺骨は不明長男夫婦家族との7人。

長男の妻 壽子 長男の妻 壽子(41)
3歳の長男と1つの長女を連れて寺町(中区)に墓参りをしていて被爆。肝臓がんで59年12月1日死去。

三女 秀子 三女 秀子(19)
芸備銀行(現・広島銀行)勤務兄が、自宅軒下で炭状になった小さな遺体を妹と判断。前日の5日に見合いをしたばかりだった。

山本 久子 山本 久子(19)
千代田生命勤務伯母と泊まりがけで訪ねた佐伯郡平良村(廿日市市)の知人宅から、爆心130メートルの職場(中区紙屋町2丁目)か、職域義勇隊として建物疎開に出たまま行方不明。自宅は日本簡易火災保険広島支店の東隣。
中山 熊治郎 中山 熊治郎(38)
植木師中島本町48番地の自宅で被爆し、妻子3人の遺骨を己斐方面(西区)の知人宅に預けて14日、佐伯郡廿日市町(廿日市市)486番地の5の廿日市臨時救護所で死去。遺骨は不明双三郡三良坂町の学童疎開先から戻った、中島国民学校5年の長男が爆死した家族全員の死亡報告書を出す。「広島を離れた後、再訪したのは19年後でした」

妻 八重子 妻 八重子(30)
自宅で爆死。

二男 稔 二男 稔(6)
母とともに爆死。

長女 美栄子(1)
母や兄と爆死。(注・遺影なし)

荒川 案山子 荒川 案山子(かかし)=(44)
日本簡易火災保険(現・富士火災海上保険)広島支店長中島本町11番地の支店か、支店裏の社宅で爆死したとみられる6人家族が久しぶりに顔をそろえた朝、妻は三男を連れて食糧の買い出しに行った新庄町(西区)で被爆。山陽中4年の長男は、住み込み動員先の呉海軍工廠に。「鉄筋2階建ての外郭だけが残っていました」

長女 小香子ら 長女 小香子(14)(右)
広島女学院高女3年八丁堀(中区)の広島財務局・広島税務署に動員されていた。遺骨は不明。

二男 薫(11)(左)
本川国民学校6年爆死。双三郡十日市町(三次市)に学童疎開していたが、体調を崩して帰宅していた。

丸川 次郎 丸川 次郎(52) 広島支店会計課長己斐町(西区)の自宅から出勤した支店で爆死したらしい。遺骨は不明。同居していた中国海軍監督官事務所(中区大手町2丁目)勤務の長男の妻ひで(22)も爆死。

国弘 節子 国弘 節子(19)
広島支店社員出勤直後に被爆し、本川につかっているところを助けられ、平塚町(中区)の親類宅へ。母親に「お兄ちゃんにお嫁さんが来たら仲良くやってね」と言い残し、24日死去。

上山喜久次郎(25)真鍋初子(24)世良コトマ(25)山下富子(23)林富枝(24)岡野里子(22)渡部秀清(54)竹内勘一(57)内田勝吉(49)長守幾太郎(71)山野長次(45)=「広島損害保険史」(56年刊)によると、広島支店勤務者17人のうち14人が被爆死した。

佐野 幸子 佐野 幸子(34)
株式会社佐野商店遺骨は不明。自宅は中島本町8番地4人。紙問屋を営む夫と修道中4年の長男は、三菱重工業広島造船所で被爆。長男は午後3時すぎ、新大橋(現・西平和大橋)そばの水道管を伝って自宅跡付近に入る。「ゲートルを巻き、軍靴を履いていたので『兵隊さん。水を』と何度も求められました。火が見えないほどかんかん照りで、暗くなって周りが火の海だと気付きました」

長女 喜久江 長女 喜久江(13)
市立第一高女(現・舟入高)2年遺骨は不明。平和記念公園南側の建物疎開作業に動員された市女1・2年生は541人が死去。

土屋 房夫(40)
土屋時計店本川橋東詰め中島本町5番地の自宅か、中島本通り斜め前の店で爆死妻と子の7人のうち5人が死去。長男は、広島憲兵分隊がいた爆心760メートル、鉄筋3階建ての光道国民学校(廃校)に動員されて被爆したが助かる。「中島本町で開かれる8月6日の平和式典に出たことはありません」。(注・全員遺影なし)

妻 キヌ(42)
爆死。

二男 重司(12)
中島国民学校6年爆死。

四男 輝夫(5)
爆死。

五男 和之(2)
爆死。

高木 茂夫婦 高木 茂(57)(左)
弁護士45年5月発足し、専務を務める市信用組合本部(現・広島信用金庫)へ中島本町官有7番地の自宅から出勤しようとしていたらしい妻と2人。長男が、玄関前跡で両親とみられる遺骨を確認。

妻 シケ(51)(右)
爆死。

長男 一郎 長男 一郎(36)
原爆投下後、生家の安佐郡安村(安佐南区)から中島本町へ向かい、脱毛や出血など急性放射線障害を患う。戦後、安村村長を務めたが50年4月13日死去。

小野川 明子 小野川 明子(17)
安芸高女(52年廃校)中島本町18番地の「てんぐ本店」跡を借りて住んでいたが、安佐郡亀山村(安佐北区)へ疎開。動員先に向かう市内電車の中で被爆。祖母らが見つけるが、15日死去。

妹 鐘子 妹 鐘子(15)
山中高女(現・広島大付属福山高)3年風邪をひいて猿楽町39番地(中区大手町)の叔母宅で爆死したとみられる。山中高女の記録「追悼記」によると、3年生は天満町(西区)の三宅製針工場に動員されていた。

竹永 辰次郎 竹永 辰次郎(40)(左)
二重焼きまんじゅう「東京堂」遺骨は不明44年に応召となり、店は閉店。軍の公務で東京から4日、材木町17番地に帰宅していた。

妻 ハギノ(41)(右)
夫の帰郷を聞き、疎開していた佐伯郡平良村(廿日市市)から自宅に戻る。遺骨は不明。

下川 徳松 下川 徳松(70)
うどん「中善」遺骨は不明。中島本町の自宅から毎朝、富士見町(中区)のおい宅を訪ねるのが日課だった一人暮らし。高田郡吉田町から捜しに入った孫娘は「店の炊事場跡に散らばっていたタイルのかけらを持って帰りました」。
惣田 ツ子(ね)コ 惣田 ツ子(ね)コ(30)
「三国屋」食堂父の郷里の佐伯郡三高村(沖美町)にいたが5日、歯科医に行く妹と戻り、爆死。遺骨は不明。妹は「姉から『あなたには子どもがいるのだから』と言われ、その日のうちに帰りました。元安橋のたもとで、手を振って送ってくれた姿を思い出します」。



menuback