中国新聞

タイトル 第1部 それぞれの思い 
 
 7.訪朝団長

都市結ぶ細い糸守る
 ―国同士の関係を補完
地図

 昨年十月、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の首都・平壤で、 境港市議の下西淳史さん(58)は当局者の一人に、こう問いただされ た。「ガイドライン法は、わが国に向けたものか。日本は軍国主義 に戻ろうとしているのではないか」

 日米防衛協力のための新指針(ガイドライン)関連法が成立して から四カ月余り。境港市が派遣した訪朝団が、交流の窓口である朝 鮮対外文化連絡協会を表敬訪問した際のことだ。メンバーは市議三 人と職員一人。下西さんは団長だった。

 答えに困った末、「日本人は戦争しようとは思っていない」と言 うと、「あなたが日本政府の真意に無知だからだ」と切り返され た。「ガイドラインにかなり神経質になっているなあ」と下西さん は感じた。

 3代にわたり交流

 境港市は日朝の自治体同士で初めて一九九二年五月、北朝鮮の港 町・元山市と友好都市提携を結んだ。提携以前からの訪朝団は十回 を数える。市民が寄せた千三百四十点の衣料品を携えて新潟から海 路、元山入りした後、平壤を訪れた。

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元山市から贈られた子供たちの習字や絵を見る境港市議の下西さん
(境港市役所)

 議長、副議長でもない下西さんが団長を務めるのは、祖父、父を 経て三代にわたる交流を元山と続けているからだ。祖父は戦前、元 山との木材取引に力を入れた。三度にわたって市議会議長を務め九 三年に死去した父は、国交のない北朝鮮との交流に当初消極的だっ た市側を説得。提携への道筋をつけた。

 父の死去に伴う補欠選挙で当選した下西さんも訪朝は既に五回 目。九五年以来となる今回、実は不安もあった。九八年八月のテポ ドン発射に続く、昨年三月の不審船騒動で日朝関係が悪化していた からだ。

 「有意義」との伝言

 だが、市議会では「こういう時期こそ、交流を大切にしたい」と の声が大勢を占めた。下西さんは出発直前、地元国会議員の紹介 で、武見敬三外務政務次官(当時)に会って国の反応を探る。心配 していたが、武見次官は「自治体同士の意思疎通は有意義だ」との メッセージを託してくれた。

 訪問した一週間、ガイドライン問題こそ、たびたび持ち出された が、下西さんは「境港に対しては予想以上に友好的。長年の交流の 実績をあちこちで評価してくれた」と感じた。元山市は子供たちが 描いた絵や、ハングルの習字など百二十三点を贈ってくれた。

 駆逐艦入港に懸念

 ほっとして、一行が境港市に戻った翌日の十月十八日、米軍の駆 逐艦「クッシング」が補給・休養を目的に境港の四万トンバースに初 めて入港した。朝鮮半島をにらんだ米軍の戦略との見方もあった。

 「あちらは日本の衛星放送でニュースを見ている。あまり刺激す るようなことはしてほしくなかった」

 境港市には航空自衛隊美保基地がある。五十年前の朝鮮戦争時 は、北朝鮮への攻撃基地になった歴史もある。万一、「朝鮮半島有 事」が起きれば巻き込まれる可能性もある…。

 そんな思いから下西さんは願う。「テポドン発射などで、北朝鮮 を怖い国と思う気持ちは分かる。だからこそ国の関係とは別に都市 と都市の間で、細い糸を切らさないでおく。それがわれわれにでき る安全保障ではないですか」

 《境港と元山の友好都市提携》北朝鮮と日本の都市の唯一の友好 提携。終戦まで境港と元山は定期航路で結ばれていた。戦後も国交 はないまま、境港と北朝鮮との貿易は続く。貿易促進や漁業資源確 保などを目指して一九七九年、境港市議会に日朝友好促進議員連盟 が発足し、最初の訪朝団を派遣。九二年五月、元山市で友好都市提 携の協定書が調印された。




 (第1部おわり)

 この連載は岩崎誠が担当しました


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