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核時代 負の遺産
旧ソ連・米国からの報告

 人類にとっての本格的な核時代は、科学者らが大学内での小規模 な実験室の枠を越え、「巨大産業」へと変貌(ぼう)する第二次世 界大戦中の米国の原爆製造計画「マンハッタン・プロジェクト」 (一九四二―四五年)を契機に到来した。

 それから約六十年。半世紀近く続いた東西冷戦構造の中で、核超 大国の米国とロシア(旧ソ連)は、合わせて千七百回以上の大気圏 ・地下核実験を繰り返し、熾烈(しれつ)な核軍拡競争を展開し た。核保有国も英国、フランス、中国、さらにインド、パキスタン へと拡散した。

 八〇年代半ばのピーク時には、約七万個にも達した地球上の核兵 器。冷戦崩壊後、米ロ間では、一定数の核弾頭の解体が進む。だ が、そこから出る高濃縮プルトニウムやウランをどう安全に処理す るか…。財政難に苦しむロシアにとって、米国以上に問題は深刻で ある。

 さらにウラン鉱山跡の廃棄物、プルトニウム製造工場などでの放 射能汚染、閉鎖した核兵器工場の解体、老朽化した原子力潜水艦や 原発、廃棄物貯蔵所…。いずれの問題をとっても簡単な解決法が見 つからないのが現実である。

 原子力エネルギーに依存した二十世紀から二十一世紀へと先送り された核時代の「負の遺産」。新しい世紀に足を踏み入れた今、省 みられぬヒバクシャの存在をも含め、その重荷に最もあえぐ旧ソ連 と米国を歩き、実態を探った。

 旧ソ連から、特集でリポートする。

汚染・廃棄物…課題重く

1986年4月、史上最悪の炉心溶融事故を起こした チェルノブイリ原子力発電所4号機。「石棺(せっかん)」と呼ばれる 建物内部からは、15年後の今もなお強い放射線が放出されている (ウクライナ・チェルノブイリ市)

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