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みんなの平和教室

 瀬谷ルミ子(日本紛争予防センター事務局長)
 

本当に必要な支援、どうすれば見極められるのか。

私は今、アフリカ北部のスーダンに来ています。ということで、今回は現地の様子を報告しつつ、ここで生じている問題について皆さんと考えてみたいと思います。

瀬谷ルミ子 せや・るみこ

1977年、群馬県生まれ。中央大卒、英ブラッドフォード大学院修了(紛争解決学)。紛争後に兵士から武器を回収し社会復帰させることや平和構築が専門。NGO職員(ルワンダ)、国連ボランティア(シエラレオネ)、日本大使館書記官(アフガニスタン)、国連職員(コートジボワール)などとして紛争地での支援活動に携わってきた。2007年4月から日本紛争予防センター事務局長。

日本紛争予防センター http://www.jccp.gr.jp/
瀬谷さんのブログ「紛争地のアンテナ」
   http://ameblo.jp/seyarumi

スーダンでは、北部と南部の間の争いが長年続いていたほか、西部のダルフール地域においても、武力衝突により多くの住民が被害に遭っています。私は北部と南部を訪れるので、南北紛争に焦点を当てます。


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「ひろしま国」44号で取り上げられたように、スーダンでは1983年、イスラム教徒が多い首都のある北部と、キリスト教徒の多い南部の間で争いが起きました。原因の一つは、南部にもイスラムの法律を使うことを義務付けようとした北部政府に南部が反発したこと。もうひとつは、南部で採れる石油の利益を南北でどう分けるかでもめたことです。

2005年に和平合意が結ばれるまで、22年間争いは続きました。和平合意は、南部政府が自分たちの領土をある程度管理することを認めたほか、南部が石油の利益の半分を北部と分けることで成立しました。

とはいえ、すべてが元通りになるわけではありません。とくに南部は、長年の争いで多くの町や村が破壊されました。今も人々の生活は貧困に直面しています。前回までの平和教室で一つずつ考えてきた問題の多くが存在している状態です。

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南部にある国内避難民キャンプの子どもたち(2月、筆者撮影)

争いから逃れていた人たちが少しずつ古里に帰ろうとしていますが、そこは家が壊されていて住む場所が確保できない場合もあります。学校も壊され、十分な教育を受けられない子どもがたくさんいます。紛争で親を亡くした孤児のうち、特に都市部で生活している子どもは路上生活を送るしかない状態です。

水やトイレがないために、汚染された水を飲んだり不衛生なところで生活したりすることによって、子どもを中心に病気にかかり命を落とす人が多くいます。栄養豊かな土地はありますが、種や農機具がないため十分な食糧をつくることができません。

政治に関連した問題もあります。紛争時、多くの人が軍隊に加わったため兵隊への給与が増え軍事費がふくれ上がりました。それによって政府が他の住民の生活に必要な事業できていないのです。また部族の間で家畜や土地をめぐる争いが続いており、武器を使った対立になる場合も多いですが、警察も機材や車が十分ないため、巡回することもできていません。


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そんな中、多くの国連機関や非政府組織(NGO)など、さまざまな援助団体が南部で活動し、保健、医療、復興などの分野を支援しています。日本政府を含め、そのような活動に資金援助をする外国政府も多くあります。ただスーダンはアフリカで一番面積が広い国なので、南部だけでも支援を行き届かせるには広すぎるという問題もあります。

このような状況で、(今の私のように)あなたがスーダンにやってきたとしましょう。財布の中には100万円あります。すべての人の要望を満たすことはできませんが、本当に必要とされる何かを支援したいと思っています。あなたなら現地で本当に求められていることをするため何をしますか。参考にさせてください!

 

今回の課題

スーダンのように支援が必要な場所に、限られたお金を持ってきました。援助機関がすでに活動しています。必要な支援をするため、どう情報収集や準備をしますか。気をつけるべき点は何ですか。


※締め切りは3月1日(必着)です。
 
 
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