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8.6探検隊

(25)「幻の原爆慰霊碑」ってあるの?

Q

平和記念公園(広島市中区)の原爆慰霊碑のほかに、「幻」の碑があると聞きました。本当ですか。




A

イサム・ノグチ氏が設計

現在の原爆慰霊碑は、日本を代表する建築家の丹下健三(2005年、91歳で死去)が設計し、1952年8月6日に除幕されている。碑の前に立つと向こうに原爆ドームが見えるデザインだ。これとはほかに設計案があったということだろうか。

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上=イサム・ノグチが作った広島原爆慰霊碑のための模型
下=現在の原爆慰霊碑

国籍で不採用

原爆資料館学芸担当に聞くとすぐに分かった。世界的な彫刻家イサム・ノグチ(1904―88年)がデザインしていたのだそうだ。平和大橋の欄干などを設計した人だね。日本人の父と米国人の母を持つノグチは、米国で生まれ育った。世界大戦中は「米国に住む日系人」として強制収容所に入っていた経験もある。

そんな彼に依頼したのが平和記念公園の設計をした友人の丹下だった。ノグチはそれに奮い立った。原爆を投下した国と投下された国の父母を持つからこそ、慰霊碑を手掛けたいと、ノグチは無償で引き受けたんだ。

もともとノグチは彫刻に一つの信念を持っていた。アトリエのあった高松市で、制作をともにしたイサム・ノグチ日本財団の和泉正敏理事長は「芸術は人種の違いや敵味方を超えて人の心を安らかにする。だから自分は彫刻を作るんだ、と語っていました」と振り返る。

しかし模型が既に出来上がっていた52年、慰霊碑は「不採用」になってしまったんだ。

平和都市広島の復興計画を審議する「広島平和記念都市建設専門委員会」から、原爆を落とした国の人間に作ってもらう必要はない、という意見が出たのが理由だ。ノグチはそのときの心境を「外国人であるからどうのといわれるのは全く不思議」(52年4月8日中国新聞)と語っている。結局、やり直しを丹下が担当し、採用された。

神奈川で発見

模型は長い間行方不明だったけれど2003年、神奈川県立近代美術館の葉山館(同県葉山町)開館に向けた引っ越し作業中、同美術館収蔵庫に眠っているのが発見された。石こうで作られている。20分の1程度の模型で高さ53センチ、幅58センチ、奥行き29センチ。丸みを帯びたアーチ型だ。地上部分と原爆死没者名簿を納める地下部分に分けるよう「地上」「地下」という指示が書かれている。

05年に専門家がノグチのものと確認した。前館長の酒井忠康・世田谷美術館館長によると、52年にノグチが個展をしたとき一緒に持ってきた可能性があるが、詳しいことは分からない。県立近代美術館は所有者を探し出した上で今年2月、正式に寄贈を受け、所蔵作品に加えた。

慰霊碑が実現せず、ノグチは深く傷ついただろう。和泉理事長は、ノグチが晩年「丹下に時代も変わったので、自分のものでもよいのではないかと話した」と聞いたことがあるという。(見田崇志)