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8・6を伝える

村上啓子さん「ヒロシマ こどもたちの夏」

cd 主人公の少年が、被爆者を救護した女性の話を聞く「僕、壁新聞をつくるんだ」、二つの対照的な家族を例に夫婦別姓の問題を盛り込んだ「さよなら三角」、ペットのハムスターから弱者との共存を考える「赤い目のチビ」の3編を収めた。

 「さよなら三角」には広島の原爆についてガイドする女性、「赤い目のチビ」には漫画「はだしのゲン」にちなんだ「げん」という名の少年が登場するなどヒロシマがちりばめられている。被爆50年の1995年に出版。

被爆者以外も平和語って/国境の線 薄くする努力を



村上啓子さん

むらかみ・けいこ

1937年生まれ。広島市中区出身。広島女子短大(現県立広島大)社会科卒。81年の第1回広島市民文芸作品に応募し、エッセー部門で第1席に。2002年に広島を離れ、長女が住む茨城県へ。牛久市在住。

広島の原爆を題材にした「僕、壁新聞をつくるんだ」など3編を収めた児童書「ヒロシマ こどもたちの夏」。筆者は8歳の時に被爆した村上啓子さん(74)。「自ら行動し、平和を創造する人になってほしい」と、本に託した思いを話します。(増田咲子)

「僕、壁新聞をつくるんだ」は、実際に似島(広島市南区)で被爆者を救護した女性の証言が出てきます。原爆投下直後から傷ついた人たちが次々と船で運ばれた似島。女性は死にそうな人から必死の思いで、名前を聞き出しました。村上さんは「行き倒れの人が大勢いるのに、名前を聞き出せて記録を残せたのは、せめてもの私らの誇りです」という女性の言葉が忘れられず、この話に書きました。

別の話「さよなら三角」には、外国人に原爆を伝えようと広島に移り住んだガイドが登場します。「被爆者ばかりにヒロシマを語らせるのではなく『疲れたでしょ、私たちがやるよ』という人が出てきてほしい」と村上さん。「原爆に遭っていない人が、平和の大切さをどんどん語ってほしい」との願いを込めました。

村上さんはあの日、爆心地から1・7キロの広島市中区白島九軒町の自宅で、父母と弟、妹と被爆。「危ないから防空壕へ入りなさい」。飛行機の音に異常を感じた父親の声に、村上さんと弟は防空壕に逃げました。間に合わなかった父は大けがをし、部屋にいた母は爆風で飛んできたガラスで片目を失いました。

現在、国内外で被爆体験を証言している村上さんですが、実は長い間、生々しい体験を語れませんでした。1988年から90年にかけて書いたこの3編の童話も、自分の被爆体験を基にしているわけではありません。しかし、95年ごろ、広島を案内したドイツ人牧師から、「第2次世界大戦当時、友人が急にいなくなった。後から彼がユダヤ人だと知った」という話を聞きました。大量虐殺されたユダヤ人を思い起こした村上さん。その時代を生きた人にしか語れないことがあると感じ、証言活動を始めました。

村上さんは学校で被爆体験を語る際、国境のない白い世界地図を見せます。「もともと世界に国境という線はなかった。何かの欲望で線が引かれてしまった。一度引かれると元に戻すのは難しいけど、その線を薄くする努力してほしい」。そう訴えかけます。

また、若者たちには「できるだけ海外へ行って友達をたくさんつくりましょう」とアドバイス。「世界中の人たちが愛し合い、許し合うことにつながる」と考えるからです。


私がイチオシ☆ 小5・石本真美帆

「僕、壁新聞をつくるんだ」が、一番心に残っています。主人公の少年は似島に行き、被爆者を看病した人の証言を聞きます。

読んでいくうちに、私も少年と同じように悲しい気持ちになりました。原爆はとても恐ろしいものだというのがよく分かります。世界中から争いが消えてほしいとあらためて感じました。

物語の最後で、少年は原爆について壁新聞を作ろうと思います。私も広島県以外に住む人に、原爆のことを伝えていきたいです。そのためには、被爆者の話を聞くなどもっと勉強したいです。


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