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 嶋村 仁志  「遊び」は社会に不可欠


英国全土での遊びキャンペーン「プレイデー」で、子どもと触れ合う筆者(左)(ロンドン、2011年8月)

しまむら・ひとし

1968年東京都昭島市生まれ。上智大卒業後、英国リーズ・メトロポリタン大社会健康学部プレイワーク学科卒業。羽根木プレーパーク(東京都世田谷区)、川崎市子ども夢パーク(川崎市)、子どもの遊ぶ権利のための国際協会(IPA)東アジア副代表などを経て、現在、プレーパークむさしの(東京都武蔵野市)に勤務する傍ら、「TOKYO PLAY」代表。NPO法人「日本冒険遊び場づくり協会」理事も務める。東京都世田谷区在住。

 「遊び」というと、「時間の無駄」「勉強の合間のごほうび」ととらえられがちです。しかし実は、子ども自身の健康的な成長や幸せだけではなく、保護者や社会の豊かさにもつながっています。私はこの15年ほど「冒険遊び場」と呼ばれる遊び場で、プレイワーカーという仕事をしてきました。「冒険遊び場」とは、多少のけがをしながらも、子どもがのこぎりやかなづち、たき火などで自由に遊べるようにした場所です。行政と住民が協力して作っている例も多く、全国各地に見られます。


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遊びと私のつながりは、子どものころにさかのぼります。東京都昭島市、千葉県市川市で過ごした小学生時代。習い事が嫌いで、ひたすら遊ぼうとしていました。

具体的に子どもの遊びの世界に出会ったのは、大学1年の時。友人が「面白い場所があるから」と東京都世田谷区にある「羽根木プレーパーク」という冒険遊び場に連れて行ってくれたのです。そこには、乳幼児や小中学生だけなく、地域のおじいちゃん、おばあちゃんまで世代を超えて楽しむ姿がありました。しばらくして、欧州には「プレイワーク」という専門分野があり、大学で学べることが分かりました。

「プレイワーク」は、遊びを通した子どもとの関わりや、遊びの場づくりを学ぶ学問です。道路や公園、福祉、教育など幅広い分野での政策に、どのように子どもの遊び環境を反映させるかを学んだり、子どもの事件について議論したりもします。

私は大学卒業後、アルバイトでお金をため、伊藤忠財団の奨学金も得て、英国の大学のプレイワーク学科に2年間通いました。英国は1948年以来、欧州の中でも特に冒険遊び場が広がった国です。全国に150か所の冒険遊び場があります。私も休みの度にあちこち見に行っていました。そこでも、やはり遊び場が子どもだけでなく、大人同士の出会いの場となり、地域のつながりが広がっている姿がありました。

帰国後、プレイワーカーになるとともに、国際非政府組織(NGO)「子どもの遊ぶ権利のための国際協会(IPA)」での活動も始めました。IPAは、子どもの遊び環境に取り組む世界の専門家が集まり、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の諮問機関にもなっている団体です。IPAは2010年、世界8カ所(メキシコ、日本、タイ、インド、レバノン、ブルガリア、ケニア、南アフリカ)で世界専門家会議を開催。私は、日本でのコーディネーター役を担当しました。


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会議は、「遊ぶ」という、単純で当たり前のように見えることが、実は世界の各地で難しくなっている現状について議論しました。レバノンでは、公園に人形やサッカーボールに模された地雷が置かれているという報告がありました。撤去も進んでいますが、地雷がゼロになった確証が得られなければ、親は子どもを公園に行かせません。また、ケニアや南アフリカでは誘拐への不安が大きく、「いくら公園が整備されても、まちが安全にならなければ、子どもは外では遊べない」という声が多くの人から聞かれました。

日本では、「塾や習いごとなどで遊びの時間がない(教育の時間が長すぎる)」「管理責任やけがへの不安で、『禁止』ばかりが増えている」といった点が取り上げられました。会議の報告書は国連に届けられ、国連子どもの権利委員会が11年2月、世界各国の政府に向けて、「一般的意見」という特別な解説書を作ることを決めました。

子どもの遊びは、社会の問題や環境の問題と密接に結びついています。外遊びの不足は子どもの体力低下や肥満と結び付けられます。「うまくいかない経験」は、遊びの醍醐味のひとつですが、トラブルやけがを避けようとするばかりに、そうした経験が少ないまま大きくなる子どもも増えています。すると、人の目が気になって、新しいことに挑戦したり、失敗したりすることを極端に恐れるようになってしまうのです。また遊びには、たまったストレスを吐き出したり、気持ちのコントロールを学んだりする機会も豊富にあります。そうした機会が奪われると、はけ口は結局、別のところに表れてしまうのです。


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「子どもにとって、遊ぶことは大切」と多くの人が感じていますが、実際にそれを実現していく道はなかなか見つけられてはいません。私が代表を務める「TOKYO PLAY」では、さまざまなプロジェクトを通して、思う存分遊べる道筋を見つけていけたらと考えています。