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 渡部 朋子(上)  アジア活動 信頼が支え


プレゼントをくれた女の子に『ありがとう』を言う筆者(左)(2007年4月、シャムシャトウ難民キャンプにある学校で)

わたなべ・ともこ

1953年広島市中区生まれ。法律事務所の事務局長を務める傍ら、広島の市民や子どもたち、広島を訪れる海外の研修生などを対象に、国際理解や平和教育の実践に携わってきた。NPO法人ANT―Hiroshima(アント ヒロシマ)を89年設立し、代表理事。平和を願う人たちの支援を続け、2002年からはアフガニスタンの難民支援、05年からはパキスタン・カシミール地方の地震復興支援にも力を注いでいる。広島市教育委員。広島市安佐南区在住。

私はNPO法人ANT―Hiroshimaの代表をしています。「世界の、そして一人一人の平和づくり」を目標に、アジアを軸に世界各国の人々やNGOなどとのネットワークを広げています。ヒロシマの経験を生かしヒロシマの願いを伝えながら、国際協力、平和教育、平和文化の交流などに取り組んでいます。


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「ANT」とは英語で「アリ」のこと。一人一人の力はアリのように小さいけど、みんなが手をたずさえればきっと世界を動かせると信じて名づけました。「Asian Network of Trust」=「アジアの信頼のネットワーク」というもう一つの意味も込められています。すべての活動のベースは人と人との「信頼」だという信念のもと、紛争地や自然災害地で二十数年間活動を続けています。

ANTの主な活動の1つにアフガニスタン難民支援があります。パキスタン北西辺境州ペシャワルの南西約35qにあるシャムシャトウ・アフガン難民キャンプが活動拠点です。見捨てられ救いの手が差しのべられない子どもたちが手を傷だらけにしながらじゅうたんを織り、家計を支えて必死に生きています。女の子は12〜13歳で結婚し、貧しさと闘いながら子どもを産み育てます。出産時に病気になっても、医師にかかることもできず命を落としていきます。

3度目にこのキャンプを訪ねた私を、現地の顔見知りの女の子が手招きして呼びました。「どうしたの?」と聞くと、彼女は自分の首からネックレスをはずして私の首にかけ、こう言いました。「ここを訪ねてくる人は多いけど、2度目に来る人はいない。でも、トモコ、貴女は何度も来てくれた。私は貴女が大好きよ」。あまりのうれしさに私はその子の手をとって大喜びしました。

そのころ、私は難民キャンプの健康調査を実施した直後で、無力感にうちのめされていました。問題は山積みで、何から手をつけ、どう資金を捻出すればよいのか、頭を抱えるばかりでした。何もできない私がこの場にいることを申し訳ないとさえ思っていました。

私にかけられた「大好きよ」という女の子の言葉は彼女と私の間に小さな絆を生み、こんな私でもここにいてよいのだという気持ちにさせてくれたのです。あきらめないで続ける勇気を私に与えてくれました。

まず自分にできることからはじめよう。地域の人々の話を聴き、ともにご飯を食べ、一緒に踊ろう。可能なかぎりここを訪ね、多くの人と友になろう。同じ志をもつ友と力を合わせ、「アリ」のように大地を這いながら、一つずつ問題を解決していこう。


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10年を経た現在、現地のかけがえのない友人たちと力を合わせて、この地に小さな診療所を建設中です。紛争や大洪水に見舞われながらも何とか建設は進んでいます。もうすぐ完成し、地元の人々による診療所の運営が始まります。

このプロジェクトを通じて、アフガニスタンとパキスタンに信頼できるたくさんの友人ができました。1人では何も成し遂げられない。でも友がいれば、互いに協力し励ましあってあきらめることなく前へ進める。その確信を与えてくれた人々との絆は、私の「希望」であり「勇気」です。

 
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