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 渡部 朋子(下)  平和へ一歩踏み出して


国際協力機構(JICA)の招きでアジア各地から広島を訪れた研修生に草の根の平和活動について話す筆者(2月25日)

わたなべ・ともこ

1953年広島市中区生まれ。法律事務所の事務局長を務める傍ら、広島の市民や子どもたち、広島を訪れる海外の研修生などを対象に、国際理解や平和教育の実践に携わってきた。NPO法人ANT―Hiroshimaを89年設立し、代表理事。平和を願う人たちの支援を続け、2002年からはアフガニスタンの難民支援、05年からはパキスタン・カシミール地方の地震復興支援にも力を注いでいる。広島市教育委員。安佐南区在住。

1945年8月6日の広島を体験し、その後の復興の歩みを知っている人たちは年々減少しています。一方で「ヒロシマ」を受け継いでいくためのさまざまな取り組みが始まっています。


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私はヒロシマには五つの使命(ミッション)があると考えています。国内外に被爆の実相を伝える▽核廃絶をめざして活動する▽さまざまな地域で平和構築活動を行う▽平和文化、平和教育を広げる▽各地、各分野で平和の担い手を育てる、です。

これらの使命は、世界が相互に深く影響しあう今日、国境を越えた世界中の人々の共同作業でしか果たせません。自分にできることから果たしていくことがヒロシマを受け継ぐことになると考え、私自身も日々努力をしています。

学生時代、ヒロシマをテーマにした卒業論文に取り組んでいた私に、多方面から助言をくださったのが中野清一先生(1905〜93年)です。中野先生は広島大の教授だったころ、復興途上の広島で、自宅を原爆孤児のために開放しました。「あゆみグループ」を結成し、孤児たちの親代わりとなって面倒をみながら、彼らがどう生きればよいのかということに心を砕き、手を尽くしていらっしゃいました。

「あゆみグループ」のモットーは「仲間とともに大地を這う」と「生活の中にこそ平和を」でした。人と人との間柄を大切にされ「心に平和の砦(とりで)を築くように」とよく話されていました。中野先生の教えとご夫妻の生き方は、現在の私に強い影響を与えています。

「生活の中に平和」を実現するには、自分自身の心のありようや人との関係、生活態度などが平和的であるかどうかを振り返り、考える努力が必要です。また「仲間とともに大地を這う」という言葉には、這うがごとくの遅い歩みであっても、互いに寄り添いながら前に向かう力強さと祈りを感じます。ヒロシマの使命を果たそうとする時、中野先生が「あゆみグループ」を通して目指された、心に平和の砦を築くための努力を忘れてはならないと思います。


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2010年11月、広島で開かれたノーベル平和賞受賞者世界サミットにダライ・ラマ14世が出席されました。「21世紀は市民の世紀です。市民が世界を動かしていくのです」と語られました。

私は、世界の現実を知りより良い世界を築くために「自分にできることを何かしたい」という多くの若い人たちと出会ってきました。その熱意を行動に変える一歩を思い切って踏み出してほしいと思います。一歩踏み出すことで、あなたを取り巻く世界が変わります。失敗を恐れず、失敗から学べばよいのです。

どんな小さなことでもこつこつと続ければ必ずつながりが生まれ、つながりによって大きな成果が生まれます。私たち一人一人の力は小さいけれど決して無力ではないのです。

広島に生まれた私は、この街を愛するからこそ、この街の使命を自分自身のこととして生きていきたいと思っています。

 
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