english
地球人として生きるlogo

 中山 実生(中)  貧困への無力感が原点


ドイツ・ミュンヘンのインターナショナルスクール時代に、クラスメートと(筆者は右から2人目)

なかやま・みおい

1977年広島市東区生まれ。立教大卒業後、NPO法人国際子ども権利センター(東京)勤務を経て、2002年にインドに渡った。写真で児童労働問題を訴えるプロジェクトを展開した後、05年のボーンフリーアートスクール設立に協力。主に子どもたちへのダンストレーニングを担当しており、10年から同スクールの共同代表。インド・バンガロール市在住。

私の両親は、20代のころベトナム戦争が行われていたこともあり、軍隊や核兵器に反対し、平和主義を信奉していました。私も幼いうちから、親といろんな平和集会に参加したのを覚えています。


■     ■


中学、高校の平和教育は非常に充実していました。広島、長崎の原爆や沖縄の地上戦だけでなく、日本の加害の歴史と責任についても学びました。アジアの隣人たちを虐殺し、女性を性的奴隷として扱った史実です。

16歳のとき、母の留学のためドイツのミュンヘンで1年間暮らしました。滞在中、強制収容所や美術館を巡りました。通っていたインターナショナルスクールで英国に旅行した際、英国の貧困層について学び、大学で社会学を専攻する動機づけとなりました。

大学では3年の時、移民問題研究のため、ドイツのベルリンに留学。そこで、トルコを訪れました。最大都市イスタンブールは、美しいイスラム文化の輝きを放っていました。しかし、私の目に留まったのは、観光客に寄ってくる子どもたちでした。1週間の滞在中に友達になった姉妹2人を、最後の日の昼食に誘いました。食事中は幸せな気持ちだったのに、レストランを離れた瞬間「あ、彼女らはまた路上に帰らなければならないんだ」という無力感に襲われたのです。同時に、何かしたい、何かしなければ、と強く思うようになりました。


■     ■


日本に帰国後、児童労働問題に取り組む非政府組織(NGO)を探し、参加しました。開発や貧困について学ぶ日々。大学を出るころには、将来は国連か国際NGOで働きたいと思い、大学院への進学を考えるようになりました。しかしニューヨークの大学院で、実地経験がないと入学できないから途上国へ行け、と言われたのです。

NGOの先輩からの「インドへ行ってみたら」との一言でインドへ行くことに。2002年、私はマハトマ・ガンジーの国の地を踏みました。世界で最も児童労働者数が多いインド。私は彼らについて学びたいと思っていました。

働く子どもたちや路上にいる子どもたちは、初日から目に留まりました。でも自信がないし、言葉も分からず、話し掛けることさえできなかったのです。

 
質問や感想待ってます。全部の項目に書き込んだら、最後に送信ボタンを押してね!
ご意見
(600字以内)
名前(必須)
ハンドルネーム
(掲載時に本名以外を希望の方)
性別
男性女性
住所(都道府県)
住所(市区町村)
(例:広島市中区)
メールアドレス
学校名(職業)
学年(年令)