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平和市長会議 広がる輪
 〜世界1608都市。ぼくらも、その一員〜

2005年8月に広島市で開かれた平和市長会議の被爆60周年記念総会。総会は4年に1度開かれる

広島と長崎を中心に、世界をつなぐ平和のネットワークがあります。「平和市長会議」です。設立から今年6月で25年。現在、120カ国・地域の1608都市が加盟しています。

戦争は主に、軍事力を持つ国と国が起こします。一方で「市」は軍備を持ちません。そんな市が国境を超え、力を合わせて核兵器の廃絶などに取り組んでいるのです。

世界には、今なお2万7000発以上の核弾頭があると推計されています。2001年の米中枢同時テロに続き、イラク戦争、06年10月の北朝鮮核実験など、核を取り巻く状況は厳しさを増しているといえます。

平和市長会議は20年までに世界から核兵器をすべてなくすことを目標に、キャンペーンを展開しています。それをリードする会長の秋葉忠利・広島市長や、ドイツやフランスなどの加盟市長へのインタビューを通じ、私たちに何ができるかを考えます。


    

■核兵器を、なくそう −2020年達成めざして一緒に考えようよ−


グラフ「地域別加盟都市の数」

平和市長会議は1982年6月に、当時の荒木武・広島市長が呼び掛け、核兵器の恐ろしさを世界に伝えるために設立されました。国連に非政府組織(NGO)として登録されています。

事務局は、平和記念公園内の広島平和文化センターにあり、薬師寺保行・担当課長たちが連絡や調整などの仕事をしています。

「2020ビジョン」は、インドとパキスタンの核実験(1998年)や米国の小型核開発計画など、核兵器が使われる危険が高まっているとして03年、スタートしました。核兵器禁止条約の発効、核兵器の解体などを訴えています。

加盟する各市長からは、若い世代への期待が寄せられました。核兵器廃絶の実現のためには、私たち個人が自分たちの問題として意見をしっかりと持ち、それぞれのやり方で広げることが大事だと思います。(高1・西田成)

 
8年間で加盟3.5倍 目標共有 −会長の秋葉忠利広島市長に聞く

8日の広島市長選で3度目の当選を果たした秋葉忠利市長。引き続き平和市長会議の会長を務めます。話を聞きました。

インタビューにこたえる秋葉市長(撮影・中2坂田悠綺)

―最初に、平和市長会議の副会長だった長崎市の伊藤一長前市長が選挙運動中に拳銃で撃たれ、亡くなりました。どう受け止めていますか。

深い悲しみと憤りを感じます。2020年までに核兵器廃絶を目指す「2020ビジョン」を実現するため、今まで以上の努力して、遺志を継ぐ決意です。


―平和市長会議の目的は何ですか。

国境を超えて都市が結びつき、平和をつくることです。国と国が交渉するときに、都市を核攻撃の目標、つまり「人質」にするのは許されません。それを世界に問題提起していきます。


―活動をしてよかったことは何ですか。

注目すべきは、加盟都市が増えていることです。市長に就任した当時、464都市でしたが8年間で3・5倍になりました。核兵器をなくすという目標が達成できると思われ、核問題を都市の問題として考えてもらっていることを意味します。


―活動を広げるための課題は何ですか。

平和市長会議に国内で加盟しているのは広島と長崎だけなんです。もともと、被爆体験を世界で知ってもらうことが目的だったので、日本非核宣言自治体協議会という組織に加盟する日本の都市は入らなくていいという考えがあったのです。でもぜひ加盟してもらうように、規則を変えていきたいと思っています。


―平和活動に取り組もうと思ったきっかけは。

「真珠と桜」という本にも書きましたが、米国の大学で准教授をしていた1978年に「原爆投下は正しかった」というラジオ番組を偶然聞いたのがきっかけです。何とかしなくてはと考え抜き、米国の記者を日本に招いて、ヒロシマを伝えてもらう「アキバ・プロジェクト」を始めることになりました。


―被爆者が年を取り、若い人が体験を直接聞く機会が減っています。次の世代にどう伝えていきますか。

市の職員に、体験継承のために何ができるかアイデアを求め、100以上のリストを作りました。ビデオやテープに証言を残すことなど、一つ一つやっています。


―私たちに望まれることはありますか。

できるだけ多くの世界の人に、平和の大切さや核兵器を緊急になくさないといけないことを伝えるのが必要です。インターネットを使うなど、みなさんなりの方法で情報を広めてください。


―最後に、どうやって英語を学んだのですか。

中学1年生のとき、自分で作ったラジオとタイマーを使い、毎朝NHKの英語の番組を聞きました。これが一番良かったですね。話せるようになったのは高校生の時、1年間米国に留学したことが大きかったです。(高3・中重彩、高3・菅近隆)

 

秋葉市長のインタビューの様子です。スタートボタンを押してね。

 
 

■加盟都市からのメッセージ


平和市長会議に加盟する世界の都市は、どんな活動をしているのでしょうか。メールで、3人の市長に(1)会議に参加した理由(2)ヒロシマや原爆に対する市民の関心(3)平和教育(4)私たち若い世代に期待すること―などを聞きました。

副会長を務めるフランス・マラコフ市、ドイツ・ハノーバー市、イギリス・マンチェスター市のメッセージを紹介します。(中2・坂田悠綺)

 
■市民とともに戦争に反対 −フランス・マラコフ市 マルガテ市長
マラコフ市 マルガテ市長

―平和市長会議に加盟したのは、なぜですか。

マラコフ市はパリの南に隣接する人口3万人の小さな町です。

1883年にこの地域の住民の要望によってヴァンブ市から分立してできた町なのです。当時の住民の多くは、職人、労働者、パリ市内に勤める人たちでした。

このころから、私たちの国、フランスは痛ましい体験をいくつも重ねました。とりわけ、第一次世界大戦(1914―1918)と第二次世界大戦(1939―1945)は大きな傷を残しましたが、その後も旧植民地であったインドシナの独立戦争、アルジェリアの独立戦争がありました。それらの戦争が終わっても、今度は米国がベトナム戦争を始めました。不幸なことに、この種の戦争は世界でいまだに続いています。

これらの戦争がある度、マラコフ市の市民と議員は戦争に反対し、平和への努力を惜しみませんでした。その同じ人々が「平和運動」というNGOとともに核兵器に反対する活動を続け、またマラコフ市に籍を置くフランス広島・長崎研究所は原爆の被害を受けた広島と長崎の歴史をフランスに伝えています。

1990年には当時の広島市長だった荒木氏をお迎えし、マラコフ市の名誉市民になっていただきました。こうした平和の努力を積み重ねた結果、私達の町は平和市長会議のメンバーとなりました。そして他の賛同都市とともにAFCDRP(フランス平和自治体協会)を結成して、フランスでの賛同都市を増やし、ネットワークを作っています。


―あなたの街の市民は原爆やヒロシマのことをどのくらい知っていますか。市民の関心はどのくらいありますか。

マラコフの市民は広島と長崎に関するさまざまな展示を何度も見学しています。また、アニメ「つるにのって』やフランスの名作「ヒロシマ・モナムール(わが愛)」、日本の原爆記録映画「予言」、広島市制作の「ヒロシマ・母たちの祈り」、今村昌平監督の「黒い雨」などを観ています。また、学校や図書館では、被爆医師・肥田舜太郎氏や「はだしのゲン」の著者・中沢啓治氏の証言も読むことが出来ます。また、私達は国連が指定した9月21日の国際平和デーには毎年、講演会やイベントを企画して、原爆の問題についてもふれています。


―核兵器の被害を受けたことのない、あなたの街の小学生、中学生、高校生に核兵器の恐ろしさをどう伝えるのですか。

すべての若者は少なくとも、小学校で1回、中学校で1回、高校で1回ずつヒロシマについて説明を聞く機会があります。それ以外に、市や平和団体がさまざまなイベントを組んで取り上げています。


―あなたは、原爆ドームや原爆資料館を見たことがありますか。もしあれば、何が印象に残りましたか。また、原爆の怖さを感じましたか。

はい、私は2005年の被爆60周年に広島を訪れました。その訪問は忘れがたく、その時の感動や思いを他の人たちに伝えたくなりました。もちろん、ヒロシマを訪問する前から、原爆の破壊力やその使用の不道徳性は十分知っていたつもりですが、核兵器の恐ろしさをヒロシマでさらに実感したのです。


―あなたの街の小学生、中学生、高校生は、平和について学んでいますか。また、どのくらいの時間、どんな内容の授業をするのですか。

最初の質問で、私達がどのようにして史実を伝えるかお答えしました。

私たちは若者に環境問題にも関心をもってもらうよう働きかけています。来年の「国際地球年」には、ユネスコとの共同イベントを企画しています。私たちは「平和」という特別に設けた教育時間はありません。けれども、歴史、地理、経済、科学などの科目を通じて、平和問題を取り上げる機会はたくさんあります。


―広島に住む若い人たちが平和に向けてできることは、なんだと思いますか。

ヒロシマの若者達は自分の町の歴史を語り継ぎ、世界遺産である原爆ドームを大事に保存することなどによって、平和に貢献することができます。

また、外国の人々にヒロシマを案内したり、ヒロシマの悲劇を世界に伝える市民団体を援助したりすることができると思います。

未来をになう世代はDVDや漫画、映画、本などを媒体とする新たな資料を制作するのも良いと思います。

例えば、2003年の3月に、私達はヒロシマの若いミュージシャンをフランスに迎えました。彼らの先生である浅田さんが率いるジュニア・マリンバ奏者達です。彼らは平和市長会議のメンバー都市を演奏旅行し、音楽を通して平和のメッセージを伝えてくれました。こうした平和交流がもっともっと行われたら良いと思います。

 

 ■被爆体験の継承が大切 −ドイツ・ハノーバー市 バイル市長

ハノーバー市 バイル市長

―平和市長会議に加盟したのは、なぜですか。

ハノーバーと広島は、1983年より姉妹都市縁組を提携してきました。そして、約40年間にわたり、友好的な関係にあります。ハノーバー市長として、広島、長崎、そのほか多くの都市とともに、核廃絶や世界平和に向けて取り組むことは、大切な責務だと考えています。


―あなたの街の市民は原爆やヒロシマのことをどのくらい知っていますか。

ハノーバー市では毎年、原爆のことや、60年余り前に広島で起こった惨劇について考えます。特に、8月6日のヒロシマデイには、あなたたちと同じように、公的な式典で原爆の犠牲者のことを思い出し、政治家たちに責務として核武装解除を求めます。


―市民の関心はどのくらいありますか。

もちろん人々がすぐに関心を寄せることは、核兵器がたくさん備蓄され、世界が脅かされているという事実以上に、日々刻々と変化する状況―例えば、財政的、経済的な懸念や仕事が確保できるか、ということなど―です。

だからこそ、核の脅威がいかに深刻かについて知っている人たちが、常に関心を示し続けることが大切なのです。


―あなたは、原爆ドームや原爆資料館を見たことがありますか。もしあれば、何が印象に残りましたか。また、原爆の怖さを感じましたか。

私はまだ広島を訪れたことがありません。テレビの報道を通じてしか知りません。しかし、核兵器を使った脅しやテロは起こりうるし、戦争が何を意味するか、ということはよく理解しています。

ハノーバーは、ドイツの多くの都市のように、第二次世界大戦中、ほとんど壊滅状態となりました。私自身も両親や祖父母から、この戦争がどんなに悲惨だったか聞きました。だからこそ、私は平和市長会議で、第二次大戦中に起こったようなことが二度と起きないように働きかけているのです。


―核兵器の被害を受けたことのない、あなたの街の小学生、中学生、高校生に核兵器の恐ろしさをどう伝えるのですか。

私たちはここ数年、1945年8月6日に広島でどれほど恐ろしいことが起こったのかを伝えるため、写真や絵、オブジェの展示や、映画やビデオの上映会を頻繁に開催してきました。

被爆者を何度もハノーバーへ招待し、学校の児童生徒に、痛ましい経験を話してもらいました。学校の児童生徒や先生たちにも感想を聞いたところ、とりわけ若い世代に何が起こったのか、ということを生々しい形で伝えることができたようです。

また、私たちはこれまでの展示や資料映像を保存し、学校の行事で活用できるようにしています。


―あなたの街の小学生、中学生、高校生は、平和について学んでいますか。また、どのくらいの時間、どんな内容の授業をするのですか。

学校のカリキュラムや教師のシラバスには「広島」「原爆」「平和への働きかけ」などを個別に設けていません。

このため、これらのテーマが、どれくらい学校の授業で取り上げられるか、あるいは授業で時間を割けるかは、教師個人の姿勢や児童生徒の興味の度合いによります。

広島市の姉妹都市の一つとして、ハノーバー市は、市内の教師が、これらの話題を確実に取り上げるよう、努力しています。また、適切な情報資料の提供も支援しています。


―広島に住む若い人たちが平和に向けてできることは、なんだと思いますか。

被爆者があとどれくらいの時間、被爆体験を語り、核廃絶の願いを訴えることができるのかが問題です。

被爆者の願いをどれくらい実現できるのかは、若い世代が彼らの願いを取り上げ、働き掛けるか否か、にかかっています。この点で、広島の若者は、市の「大使」として、世界にとって、特別な意味があるのです。

 
 ■国際的につながり、協力して活動を −イギリス・マンチェスター市 サンディフォード市長

―平和市長会議に加盟したのは、なぜですか。

マンチェスター市が平和市長会議に加わったのは、1985年です。そのときすでに、国際的な非核地帯を広げるための運動に関わっていました。当時、ヨーロッパでは、核戦争の恐怖は現実的なものでした。その恐怖はここ20年はヨーロッパでは減ってきています。しかし、世界規模で核兵器が使われる危険が残っています。マンチェスター市は、平和や核のない世界に向けた活動を、平和市長会議、英国非核自治体協会の両方で続けています。


―あなたの街の市民は原爆やヒロシマのことをどのくらい知っていますか。

マンチェスターは、原爆展の開催や、市民への資料提供をしています。マンチェスター市は核廃絶運動に取り組む市民への支援をしています。しかしながら、(どの地方自治体もそうであるように)平和活動は財政難に苦しんでおり、反核や平和市長会議での活動を大衆に十分伝え切れていません。平和市長会議に対するマンチェスター市の支援情報は、市のホームページで見ることができます(www.manchester.gov.uk)。


―市民の関心はどのくらいありますか。

市民の関心は、20年前に比べて低いです。人々は、核の脅威について読んだり聞いたりしていますが、自分たちに影響が及ぶとは考えていません。CND(英国の反核団体「核軍縮運動」)のような国内組織の活動は盛んで、ここ数年で再び動き出しています。しかし、1980年代初めのようなレベルではありません。現在はイラク戦争に関心が持たれています。


―あなたは、原爆ドームや原爆資料館を見たことがありますか。もしあれば、何が印象に残りましたか。

原爆ドームも広島、長崎の原爆資料館も見たことがあります。その体験で心を動かされずにいることはできないでしょう。広島、長崎を訪れた私の知人はみな、核廃絶に取り組もうと再び誓っています。


―原爆の怖さを感じましたか。

はい。核兵器の影響の恐ろしさは、すべてはっきり展示されています。しかし、私が爆心地に立って、1945年8月6日と8月9日にそこから一瞬で広がった、人々のものすごい痛みと苦しみへ思いをはせようとしたときに、擬似的にそれを体で感じたことこそが、最も心をかき乱される経験だったのです。


―核兵器の被害を受けたことのない、あなたの街の小学生、中学生、高校生に核兵器の恐ろしさをどう伝えるのですか。

マンチェスターや、ロンドン、グラスゴー、リーズ、コベントリーなどほかの都市でも、なかなかいいことをしていますが、どの自治体もヒロシマ・ナガサキの恐ろしさについて十分に教えていると思いません。

近年、学校に資料を配ったり、ここマンチェスター市役所での原爆展に学校の一行が訪れたりしています。しかし、教材がとても限られており、教師も仕事に追われています。教師は作業を増やすこと望んでいませんし、それは十分理解できます。

平和市長会議のサイト中で、学校教材に充てられた部分が有効ではないでしょうか。クラスでの議論や企画の手助けになる情報や資料を載せたサイトに、教師の注意をひくことができるでしょう。


―あなたの街の小学生、中学生、高校生は、平和について学んでいますか。また、どのくらいの時間、どんな内容の授業をするのですか。

国のカリキュラムに、『平和』を扱ったものはありません。しかし、全学年の生徒は、個人から国際レベルまでの紛争解決や暴力を使わない紛争への対処方法を学びます。残念なことに生徒は、社会では良い例と同じくらい多くの悪い例に取り囲まれています。


―広島に住む若い人たちが平和に向けてできることは、なんだと思いますか。

国際的にも評価される平和活動を続けるように、市に促さなければなりません。

学校と学校、生徒と生徒が国際的にもっとつながれば、素晴らしいでしょう。文化の理解度を上げ、協力して活動することの必要性の意識が高めることができて、例えば、軍事予算をもっと減らして環境保護、気候変動への対処、紛争の種を除くことにもっと予算を使う、というふうに、私たちの優先順位を変えることができます。

 

なるほどキーワード

  • 日本非核宣言自治体協議会

    自らのエリアを非核地帯とする宣言をした自治体の集まり。1984年8月に発足した。会員自治体は228(4月1日現在)。平和事業の情報交換や巡回原爆展などに取り組む。会長は長崎市長、副会長は広島、廿日市など5市長が務めている。

  • アキバ・プロジェクト

    米国の地方紙などの記者たちを広島、長崎に招いて被爆の実態を伝えてもらう事業の通称。米国の大学準教授だった秋葉広島市長が案を考え、広島国際文化財団が実施した。1979年から10年間で34人が招かれた。