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国連で働く
世界が舞台 平和へ心ひとつ

国と国の間で問題が起きた時にどう解決にあたるか、発展途上国への支援をだれがどのように行うか。そんな課題を解決するために「国際連合(国連)」という組織があります。今回は、その国連で働く人たちに焦点をあててみました。

世界中の災害や紛争の現場を駆け回った人がいます。「人道支援のためならどこにでも行く」と体験を振り返りながら語ってくれました。広島にも国連機関があります。その国連訓練調査研究所(ユニタール)広島事務所のアレクサンダー・メヒヤ所長は、広島に国連機関がある意義を「世界中に平和のメッセージを発信できるから」と話しています。

国際社会で働くため、子どものころにやっておくべきことについても尋ねました。語学を身につけるだけでなく、異なる文化や考え方を理解する心が必要だと、多くの人からアドバイスをもらいました。


職員になるには? 高い志持ち続ける 英語しっかり勉強

元国連職員である東洋学園大(東京都)の横山和子教授(55)に、国連の仕組みや国連職員になるための方法などを聞きました。

国連には総会や安全保障理事会、事務局など六つの主要機関があります。その下に総会で設立された機関として、世界食糧計画(WFP)、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)などの機関があります。国連から独立した専門機関として国連食糧農業機関(FAO)や世界保健機関(WHO)などもあります。これらをまとめて「国連システム」といい、全部で31の機関があります。

31機関で働く人は2007年12月末現在、2万5562人です。国籍別で一番多いのが米国で2269人働いています。日本は660人です。職員数は加盟国からの分担金の割合に応じて採用することになっています。日本は分担金の拠出額は米国についで2位ですが、職員数は7位です。

国連職員になるには、国連職員採用競争試験や空席ポストへの公募、政府からの出向などの方法があります。

国連で働くためには、最低でも大学院修士課程修了の学歴が必要です。日本人は欧米に比べ、民間企業に働く中で国連を希望し、大学院に入り直して修士号を取得する人が多いです。国際機関での共通言語は英語です。また、10年以上働いた後に日本に戻って働こうとしても、国連での経験を生かせる職場が少ないことが日本人の割合が低い原因だそうです。

国際社会で働くためには、若い時からその志を持つことが大切だと話していました。英語をしっかり勉強すること、専門性を身につけるためにどんな大学院に進むのかをよく考えることも必要です。若いころからスタディーツアーなどで海外を経験しておくことも、勧めています。(中3・大友葵)


復興の担い手 広島から発信−ユニタール事務所 メヒヤ所長
ユニタール広島事務所の活動について説明するメヒヤ所長=広島市中区のユニタール広島事務所(撮影・中2見越正礼)
メヒヤ所長へのインタビュー


国連訓練調査研究所(ユニタール)広島事務所は、広島にある唯一の国連機関です。アレクサンダー・メヒヤ所長(43)は、広島での勤務を希望する60人以上の中から選ばれて10月に着任しました。

メヒヤ所長は「国連の使命は平和をつくり、平和を維持することだ」と言います。広島事務所はアフガニスタンの政府関係者たちを対象に、復興のための人材育成に取り組んだり、世界遺産の保護について研究したりしています。広島に置く意義は「広島は世界で初めて原爆の被害に遭い、復興した。人材育成を通じて平和のメッセージを世界に発信できる土地だ」と説明します。

メヒヤ所長はもともと母国エクアドルで外交官をしていました。もっと世界を知りたいと思い、国連で働くことを思いついたそうです。外交官であると同時に大学教授でもあったため、国連では教えることを目的にユニタールを職場に選びました。広島に来る前は、4年間米国アトランタで勤務していました。

中学生の時にヒロシマを学んだそうです。「あまりに悲劇的な内容でクラスメートが無言になった」と話します。広島がどうやって復興したかを自分の目で見ることは勉強になると思い、広島事務所長に応募しました。

エクアドルは1941〜95年の約50年間、隣国ペルーと紛争を繰り返してきました。子どものころから、ペルー人は敵だ、かかわるなと教えられてきました。しかしペルーの首都リマへ行ってみると、ペルー人が自分と同じスペイン語を話していました。「考え方、行動、文化が違うからこそ、互いに学び合えば新しい自分を見つけられる。夢をかなえるには好奇心が大事。関心を持たずに成功した人はいない」とアドバイスをしてくれました。(中2・小坂しおり)



求められれば どこでも行く−大島事務次長
国連事務次長時代の体験を語る大島さん=広島市中区のホテル(撮影・中3西田千紗)

人道支援担当の国連事務次長だった大島賢三さん(66)=広島市東区出身=は2001年から約2年半、紛争や災害に遭った国々への支援活動をとりまとめました。

災害や紛争下の緊急支援の現場には、たくさんの支援団体が駆け付けます。混乱を防ぐため、支援団体ごとに活動地域を割り当てます。専門分野の違う各機関の資金要求を調整し、効率的な支援方法を考えるのも大事な仕事の一つです。

重要な問題が起きると現場へ行くそうです。勤務の35%は出張でした。アフガニスタンやスーダンなどの戦闘状態となっている国にも行きました。

援助物資を届けるため紛争当事者に48時間戦闘を停止するよう呼び掛けたり、難民キャンプにゲリラが入らないよう訴えたりしました。人道支援ならテロ組織もある程度協力してくれるそうです。印象に残っているのはアフガニスタンでタリバン指導者と会談したこと。「必要とされているなら誰にでも会いに行く」と話していました。

原発事故のあったチェルノブイリの調整官としても活動しました。2002年に現場に入ると、事故後立ち入り禁止になっていた原発周辺はイノシシやシカがわがもの顔で歩き回り、草ぼうぼうになっていたそうです。

大島さんは2歳の時に広島で被爆し、母親を亡くしました。そのこともあって、放射線被害者への支援の増大を現地政府に強く働きかけました。「ロシアやウクライナ、ベラルーシ政府の人たちも、私が被爆者であることを知っているから協力的だった」と話します。(高2・見越正礼、中3・大友葵)


正しい情報 慎重に提供−植木広報官
スマトラ沖地震の被災者への人道支援について記者発表する植木さん(2005年2月、インドネシア・アチェ州)=国連広報センター提供

国連には広報官がいます。活動内容やその意義を伝える仕事をします。植木安弘さん(55)は、普段はニューヨークの本部に詰め、必要があれば広報官として現地に出向き情報発信に努めています。

植木さんは、米国コロンビア大大学院に通っていたとき、日本人初の国連職員明石康さんに会う機会があり、誘われて国連に入りました。

広報官の主な役割は特定の課題に世界の注目を集めることです。例えばパレスチナ問題をはじめとする中東和平についてキャンペーンを展開する場合、各国のメディアを集めてセミナーを開いたり、パレスチナのジャーナリストを集めてトレーニングしたりします。

難しかったのは、2002年11月から03年3月にあったイラクへの核査察だといいます。イラクと米国などの間で戦争が起きるかどうか、瀬戸際の活動でした。

毎日のように声明を出し、テレビや新聞社のインタビューを受けたり記者会見をしたりしました。大量破壊兵器についての情報は、テロ組織に知られてはいけないので限られた情報しか出せません。発言が間違って報道され、「あまりしゃべるな」と上司に言われたこともあったそうです。

「紛争時に一般市民をどうやって守るかが国連の使命」と植木さん。最後まで正確な情報提供に努力し、イラク側からイラクの流す情報は信頼されないので国連から流してくれ、と頼まれたこともあったそうです。(中1・大林将也)


大学生も参加できます−キルギスで英語教室・調査

キルギスの病院で英語を学ぶ子どもたちと写真に写る芦田さん(奥)=関西学院大提供

大学生も国連活動の現場で働くことができます。関西学院大(兵庫県)は国連ボランティア計画(UNV)と連携し、学生を発展途上国に派遣しています。2004年度からこれまでに50人が参加しています。

総合政策学部4年の芦田明美さん(23)は2008年5月から4カ月間、中央アジアのキルギスの病院で英語を教えました。医師から子どもの患者まで幅広い年代が対象。読み書きできる力に応じてクラスを分けて、レッスンしました。

芦田さんがこのプログラムに参加したのは、高校時代から外国での活動にあこがれていたこと、大学2年生のときにニューヨークの国連本部のセミナーで出会った日本人職員から、現場を知る必要があるとアドバイスを受けたためです。活動を通し漠然としていた国連の仕事がより具体的になったといいます。「自分だからこそできる仕事を見つけたい。それが国連だったらいいな」と話していました。

同学部4年生の谷口晴香さん(22)は3カ月間、キルギスに派遣されました。「セーブ・ザ・チルドレン」という非政府組織(NGO)に所属し、現地の国連児童基金(ユニセフ)や政府、医師、母親にインタビューし、資料を集めてリポートを提出しました。「国連というと、遠くにあるイメージ。でも、活動を通して、半歩ぐらいは近づけたと思う」と振り返ります。(高2・古川聖良、中3・西田千紗)