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平和のシンボル
生命を守る 決意の証し

第2次世界大戦が始まってから70年が過ぎました。この間、世界では戦争や紛争が起き、多くの子どもたちが犠牲になりました。

亡くなった子どもたちの霊をなぐさめるとともに平和を願って作られたモニュメントが世界にたくさんあります。今回は、子どもに関するさまざまな平和モニュメントを紹介。さらに、それらを結んで、みんなで平和を訴える活動ができないか考えました。

みんなで協力して一つの歌やモザイク画、絵本を作るほか、心の「悪」を追い出すモニュメント作りを提案しました。各地の空気で一つの風船をふくらます案もあります。平和の祭典であるオリンピックに向けて協力できたら素晴らしいよね、と夢もふくらんでいます。

ジュニアライターの「新しい平和活動提案」へ

写真をクリックすると大きな写真を見ることができます。(特記のない写真は関係者からの提供です)
原爆の子の像(広島市中区中島町)

1958年5月5日に完成しました。モデルは被爆がもとで55年10月に12歳で亡くなった佐々木禎子さんです。佐々木さんの友達、川野登美子さん(68)=広島市中区光南=はじめ同級生らによる募金活動でできました。

毎日お見舞いに行く約束を破ってしまった悔しさが活動につながった川野さん。「禎ちゃんは生きたかったけど生きられなかった。今の子どもも生きられない人のことを考えてほしい」と話します。(中2・坂本真子、写真も)

  ひめゆりの塔(沖縄県糸満市伊原)

第2次世界大戦中に沖縄戦に動員された女子学生、教師たちを慰霊するために建立されました。

ひめゆり学徒は、沖縄師範学校女子部、沖縄県立第1高等女学校の15〜19歳の生徒です。米軍の沖縄上陸に備えて生徒222人、教師18人が動員されました。主に陸軍病院で看護活動し、136人が死亡しました。

塔は1946年と57年に二つ作られました。いずれもひめゆり平和祈念資料館前にあります。(高3・楠生紫織)

希(ねが)い(東京都江東区東陽4丁目)

10万人が亡くなった東京大空襲を忘れないために1982年3月、江東区役所前にできました。

プレートには「母が子を慈しみ育て幸せな日々が続き、そしてこの子が成長したときも平和な日々である事を願う」と記されています。碑の設立運動に携わった橋本代志子さん(88)=千葉県船橋市=は「戦争の恐ろしさを知り、学び、二度と繰り返さないために努力する事を考えてほしい」と話しました。(高1・高木萌子)

  未来を生きる少女らの像(ふりそでの少女像)
=長崎市平野町

長崎原爆資料館の屋上にあります。開館に合わせて1996年3月31日に建てられました。

像にはモデルがいます。長崎に原爆が投下されて10日後、振り袖で火葬された2人の少女です。その光景を偶然に見た松添博さん(79)=長崎市滑石=が29年後、1枚の絵にしました。絵をきっかけに家族が判明。少女像をつくる会ができたり、賛同した中学生が街頭募金したりして完成したのです。(中3・小坂しおり)

地球の子どもたち(ノルウェー・ノールカップ)

国や人種を超え、若い力と喜びを形にしようと1989年に作られました。

ブラジルや日本、タイ、イタリアなど世界7カ国から7人が集合。各自が想像力を働かせ円形のレリーフ7枚を作りました。雨と太陽の下でおじぎする女性、平和の鳥、男性像などが描かれています。完成した年から毎年恵まれない子どもたちのために活動する団体に「地球の子どもたち賞」が贈られています。(高2・高田翔太郎)

  平和の柱像(ウガンダ・グル県)

北部アチョリ地域の中心地グルにあります。北部では長年、激しい内戦が続いていました。戦いには現地のアチョリ族の子どもも駆り出されました。

像は復興の象徴として2009年7月に建てられました。足元に壊れた銃を置いた少女と、積み上がった教科書を読む少年をモチーフにしています。壊れた銃は争いが二度と起きないように、教科書は教育と知識の大切さを表しています。(中3・小坂しおり)

カム・ティエン慰霊碑(ベトナム・ハノイ)

1975年に、市街地近くのカム・ティエン通りに建てられました。亡くなった赤ん坊を抱き、毅然(きぜん)と前を向いた母親の姿が印象的です。

この地区は、ベトナム戦争中の72年12月26日夜、米軍による激しい空爆がありました。500人以上が死傷し、数百軒の家が焼失したそうです。碑文には、空爆に対する怒りを示すメッセージが書かれています。

毎年12月26日に住民たちが祈りをささげています。(中2・坂本真子)

  1976年6月16日記念碑(南アフリカ・ヨハネスブルク)

1976年6月16日、アパルトヘイト(人種隔離)が終わるきっかけとなった暴動「ソウェト蜂起」で警官に撃たれて亡くなったヘクター・ピーターソンさん(13)。反アパルトヘイトの象徴になりました。

碑には「ピーターソン、そして自由と平和・民主主義のために命を落としたすべての若者たちを忘れない」の文と、ピーターソンさんの姿が刻まれています。現在、6月16日は祝日「若者の日」です。(中1・井口雄司)

戦争犠牲の子ども像(チェコ・リディツェ)

第2次世界大戦中の1942年にドイツ軍に殺されたリディツェの子ども82人の像です。

村の住民約500人のうち大人の男性は全員殺されました。生き残ったのは、女性143人と子ども17人だけでした。村は破壊され、跡形もなくなったのです。

悲劇を聞いた女性の彫刻家が69年、像の制作を始めました。女性が89年に亡くなると夫が制作を引き継ぎ、2000年に完成しました。(中2・寺西紗綾)

  平和の魂(米国・ミネソタ州)

ミネアポリス市のリンデール公園内にあります。広島の原爆が原因で亡くなった佐々木禎子さんをしのんで2006年に作られました。碑は折り鶴の作り方をデザインしています。

碑の周りには折り紙が置いてあり、鶴の折り方の説明板もあります。また23の言語で「平和」の文字が歩道に並んだ石に刻まれています。毎年8月6日に広島市長の平和宣言を読むなどの慰霊祭を開いています。(高2・高田翔太郎)

原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑(広島市中区中島町)

被爆25周年事業として1970年に広島県原爆被爆教師の会が建立を決めました。71年8月4日に除幕されました。

原爆で亡くなった児童を女性教師が抱きかかえている像です。教師の目線の先に原爆ドームが映るようになっています。

現在、碑にまつられているのは教師146人、子ども885人。毎年8月4日に広島市内の小中学校から、約900人の子どもが参加し、慰霊祭を行っています。(中2・木村友美、写真も)

  少年平和像(長崎市城山町)

城山小の校庭にあります。1951年に建てられました。子どもが平和を求めて立ち上がる様子を表しています。原爆で両親を亡くした児童がモデルとされています。

学校は爆心地からわずか500メートルの距離にありました。1400人以上の児童と教職員が亡くなりました。同小では毎月9日に平和祈念式を開いています。この式典は51年8月9日に始まり、2009年11月に700回を迎えました。(中3・小坂しおり)

平和の彫像(ノルウェー・ナルビク)

市庁舎の広場前にあります。2006年8月6日に除幕されました。赤ん坊が眠っている碑で「平和を未来に誓う」と刻まれています。そばには広島市から贈られた被爆石の碑もあります。その台座には「この石は広島の爆心地から来ました 広島を繰り返すな 長崎を繰り返すな」と記されています。第2次世界大戦中、ドイツ軍から激しい攻撃を受けたナルビク市が平和都市を目指して活動している一環です。(高3・楠生紫織)

(写真はホーコン・アントン・ファーゲロスさん提供)

    


新しい平和活動 提案します

■みんなでモザイク画

平和の碑がある各国の人たちが集まって1枚のモザイク画を作ります。碑の写真やそこに住んでいる子どもたちの写真、子どもたちが描いた絵を使います。モチーフは、ハートマークやハト、鶴がいいでしょう。

集まる場所は毎年、替えたらいいかもしれません。できたモザイク画はいろいろな国に回して展示してもらいます。私たちが現地に行かなくても平和を訴えられるいい機会になります。(中2・坂本真子)


■碑周辺の空気で風船

風船に、各国の碑の周りにある空気を入れながら、世界一周させるのはどうでしょうか。風船の中には、現地の言葉で「平和」と書いた紙を入れます。風船の表面には自分が望まないもの、例えば「貧困」や「戦争」などを書きます。

世界一周し終わった風船は、2012年のロンドン五輪の開会式で割ります。中から「平和」の紙が舞う仕掛けです。平和を目に見える形で表せます。(中2・木村友美)



■地域が集まって絵本

モニュメントがある地域の子どもで絵本を作ってはどうでしょうか。ストーリーは、未来への希望や平和、自分たちにとって大切なものに関する内容にします。地域ごとに1ページずつ描いて、つなげていきます。絵も子どもたちが描きます。

子どもが作ると考え方も視点も違う新しい絵本になると思います。絵本は大人に読んでもらい、戦争や虐待など残酷なことがなくなるようにしてもらいたいです。(中2・寺西紗綾)


■像を壊して「悪」を絶つ

平和のモニュメントがある国に住むみんなで、「人への恨み」や「ずるさ」など自分の中に潜む「悪」の気持ちを込めて一つのモニュメントを作ります。そして「悪は出て行け!」と叫びながら力いっぱい壊します。

自分の中にある悪を追い出すことで、少しずつみんなが平和に近づけるでしょう。また、協力して作業することで、お互いの理解を深める良い機会となるのではないでしょうか。(中1・井口雄司)


■五線譜リレーで歌を

碑がある地域の子どもたちを中心に、平和に関する一つの曲を作ることを提案します。子ども同士が心を通わせ合い、平和への意識を高めることができるはずです。

「五線譜」リレーで、国ごとに1フレーズずつ歌詞と曲を書き加えてつなげます。タイトルは、曲作りに参加した子どもたちが集まって決めます。歌詞は異なる言語で作られているため、それぞれ自分が作ったフレーズを歌いましょう。(高3・楠生紫織)