english


平和かるた
みんなの願い 世界に届け

間もなく新年がやって来ます。お正月は誰とどのように過ごしますか。今回、ジュニアライターたちは遊びながら平和について考えようと、「平和」をテーマにしたかるたを作りました。

道ばたにひっそり咲く花を慈しむ心や、握手に込めた力、笑顔、歌など身近なものに平和を見いだしています。戦争が起きかねない不安定な世界情勢を指摘したり、今も頻発している地雷による惨事を取り上げたものもあります。被爆証言や平和活動をしている人、広島にゆかりのある人にも作ってもらいました。

かるたは字札、絵札とも44枚ずつ作りました。ホームページではすべての札を見ることができます。印刷してかるた遊びができるようにもしています。PDFファイル(A4横) 絵札 & 字札

ジュニアライターの「平和かるた」は こちら>>

絵札は、元ジュニアライターの高1・大友葵が担当しました。


いつまでも白球ひびく青い空
広島東洋カープ 岩本貴裕選手(24)
自筆の字札を手にする岩本選手(撮影・高3楠生紫織)

野球がいつまでもできる世界を願って作りました。広島市東区の出身で子どものころから平和教育を受けてきました。初めて行った原爆資料館では、銀行の入り口の階段に残っていた人影の展示が怖く、今も強く印象に残っています。

一緒に暮らしていた祖父母は原爆に遭っています。小学生の時、体に残る傷を見て、原爆は絶対に使ってはいけないものだと感じました。

戦争、貧困のない世界が平和だと考えます。一番被害を受けるのは子ども。自分たちは恐怖、不安を感じることなく成長できることに感謝しないといけません。

(中3・小坂しおり、中2・大林将也)


広島商高から亜細亜大を経て2009年に広島東洋カープ入団。10年は61試合に出場し、打率2割5分9厘、14本塁打、36打点。


健やかに育て未来の国際人
広島県知事 湯崎英彦さん(45)

戦後65年がすぎて被爆者が高齢化する中、次代を担う若い人は世界のことをきちんと理解しながら成長し、平和に貢献してほしいです。広島の若い人が「未来の国際人」になるには、原爆について学ぶことが重要です。生まれ育った地の歴史を知ってこそ相互理解ができるのです。

高校時代に米国へ留学しました。人種や文化が違ってもみんな同じ人間だと身をもって学びました。物事の本質を素直に受け止め、何が大切なのかを考えられるようになってほしいです。

平和とは、たとえ意見が違って腹が立つことがあっても、最後には仲良く折り合いをつけることだと考えます。

(高1・田中壮卓・写真も、中2・坂本真子、中2・佐々木玲奈)


通産省(現経済産業省)、通信会社副社長を経て2009年11月に広島県知事に初当選した。2男1女の父。


平和の使者被爆ピアノ 海をわたりNYへ
被爆ピアノ調律師 矢川光則さん(58)

調律の仕事をしていて被爆したピアノに出会いました。被爆したのは人間だけじゃない、とショックでした。演奏を通して平和を伝えることをピアノも望んでいるのではないかと思い、2001年から被爆ピアノのコンサートを始めました。既に500回を超えています。部品をできる限り換えず、当時の音色を出すようにしています。

中枢同時テロで多くの人が犠牲になったニューヨーク。ヒロシマと痛みを分かち合おう、と9月に行きました。ハドソン川沿いの野外公園には1000人以上が来ました。

父は爆心地から約800メートル地点で被爆。祖父母は入市被爆し、母も黒い雨を浴びました。

核兵器が廃絶され、被爆ピアノの出番がなくなる日を願っています。

(高3・古川聖良、中1・河野新大、撮影・中2末本雄祐)


ピアノ調律の仕事の傍ら被爆ピアノコンサートを開く。中古ピアノを発展途上国に寄付する活動もしている。


まだ続く戦争。まだ平和を知らない子どもたち
ドイツ国際平和村 バリス・カーン君(10)たち4人

母国のアフガニスタンで穏やかに暮らしたいという気持ちを込めました。

「戦争」とは人々が争うこと。「平和」とは心配事がなく友だちと遊べる状況だと考えます。世界には紛争で傷ついている子どもがたくさんいることを伝えたいです。

平和村での楽しみは、他の国から来た子どもといろんなことを学ぶことです。母国に戻ったら、学校に行きたいです。

僕たちの将来の夢は「医師になる」「学校に通う」「傷ついている他の子どもたちのために、母国で平和村の手伝いを母国でする」です。

(高1・西田千紗、中2・木村友美、中2・来山祥子、写真は平和村提供)

 
4人は10〜12歳の少年で、アフガニスタン出身。足の細菌感染、やけど、骨髄炎症、内科疾患を抱え、治療を受けている。

ドイツ国際平和村 1967年に設立された非政府組織(NGO)。紛争などで傷ついた子どもを治療し、母国に帰す取り組みをしている。本部はドイツ・ディンスラーケン市、施設は隣接するオーバーハウゼン市にある。施設の敷地には、7年前に平和記念公園(広島市中区)を訪れたスタッフが感銘を受け整備した「ヒロシマ通り」がある。現在、アンゴラ、アルメニア、グルジアなどの282人が滞在している。


やさしさが 押し葉しおりと届く冬
仏の平和活動家 美帆・シボさん(61)

20年以上前、平和に関する企画を一緒にしていた人からの手紙中に、黄色いイチョウの押し葉が入っていたのです。広島の人でした。共に苦労して準備した思い出がよみがえり、押し葉に込められたいたわりの気持ちに癒やされました。

核兵器があるから平和が保たれている、との米国やフランスの主張はおかしいと思います。核実験で多くの人が被害を受け、環境が汚染されています。核兵器を造ることそのものがいけないことです。世界を平和にするために、核兵器はなくすべきです。

(中2・吉本芽生、撮影・中3小坂しおり)


フランス平和市長会議顧問。1975年に渡仏。82年「フランス広島・長崎研究所」を設立した。フランス人の夫と1男1女。


チャレンジを誓って平和の使者となる
被爆者 笠岡貞江さん(78)

平和な世界を実現するには、意見が違う人ともきちんと話し合うチャレンジ精神が大切です。さまざまな問題を乗り越え実行してこそ「平和の使者」になれるのです。

戦争や核兵器のない世界をつくるには、みんなが力をあわせることが必要です。そのためには、原爆がいかに「悪」かを多くの人に知ってもらいたい。広島の子どもたちは、大きくなって県外で暮らすようになったら広島の原爆について伝えてほしいです。

私は修学旅行生に被爆体験を語っています。若い人には世界を変える力があります。この句を一番伝えたいのは若い世代の人たちです。

(高2・岩田皆子、撮影・中2寺西紗綾)

 
爆心地から3・8キロで被爆。両親を原爆で失った。ガールスカウト日本連盟広島県支部長。