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世界の中のヒロシマ

(27)毒ガス被害 今なお苦しみ 津谷静子

広島で8月6日に平和記念式典が行われるように、イランでは毎年6月29日、化学兵器廃絶の平和式典が行われています。広島、長崎の原爆は世界中に知られていますが、イランの毒ガス被害はほとんど知られていません。私は2004年に広島からの平和ミッションの一員としてイランに行き、この事実を初めて知りました。

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テヘラン市の公園に完成した毒ガス被害者慰霊の記念碑(07年6月29日、モーストの会提供)

つや・しずこ

NPO法人モーストの会理事長。新潟県柏崎市出身。赤十字国際委員会派遣員マルセル・ジュノー博士の遺志を受け継ごうと、1994年に海外医療支援活動をする同会を設立。ロシア、ベラルーシ、ウクライナの小児病院、チェチェンの難民などを支援してきた。広島市東区在住。

イラン・イラク戦争(1980−88年)中に毒ガス攻撃で、約6000人が死亡し、現在も5万5000人が後遺症に苦しんでいるのです。

滞在中「日本の大学との共同研究をしたい」「この事実を世界の人々に知ってほしい」という声を聞きました。それを受け、私たち特定非営利活動法人(NPO法人)モーストの会は04年から広島の平和記念式典にイランの毒ガス被害者を招き、6月29日にはイランの毒ガス攻撃を受けた地域を訪ねる交流を続けてきました。

毒ガスによる被害者は呼吸器系の病気などになり、外見では分かりにくいのですが、症状の完治は不可能なのです。そのために、彼らに出会った当初は本当に笑顔のない暗い顔をしていました。しかし、交流が深まるにつれて彼らの顔に笑顔を見ることができるようになり、医師や家族の方々が、彼らが変わってきていることを私たちに伝えてくれました。このことが一番私たちにとってうれしいことです。

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昨年6月29日、首都テヘランの公園に、毒ガス被害者の慰霊の記念碑と平和資料館が誕生しました。テヘラン市と現地の毒ガス被害者団体が完成させましたが、総工費360万円のうち60万円は私たちの交流から広島県内の個人・団体からの寄付が使われています。

広島の平和記念公園がモデルで、記念碑は高さ11メートルの白いハトの彫刻。資料館には、広島の原爆被害の写真や、毒ガス被害の写真がパネル展示されています。

毎年被害者を迎えてくださっている原爆資料館館長の前田耕一郎さんが「イランの資料館が、毒ガス資料館ではなく、平和資料館と聞き、本当にうれしいです。広島の平和を願う心が届いていると感じます」と語られたのをよく思い出します。

原爆の悲惨な事実を残してゆくことと同時に、もう一つの広島の役割を感じずにはいられません。それは、世界中で戦争や災害で多くの悲しみと苦しみを背負った人々に生きる希望と感動を届けることだと思います。モーストは「架け橋」の意味です。愛を届ける懸け橋になるようこれからも歩んでゆきます。