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世界の中のヒロシマ

(16)シアトル 8・6に灯籠流し横田亘生

「シアトル」と聞いてみなさんが頭に浮かぶのはたぶん、大リーグ・マリナーズのイチロー選手だと思います。

でもイチロー選手や城島選手の住む緑美しい街シアトルは、原爆が落とされた広島と、とても関係の深い人が住んでいた街でもあるのです。

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湖のほとりで開かれたイベントで折り鶴をつくる参加者たち=8月6日(撮影・東佳奈子)

よこた・のぶお

さいたま市出身。フリージャーナリスト。子どものための世界平和団体「WPPC(World Peace.Project.for.Children)」理事。佐々木禎子さんの兄雅弘さんが主催する会の折り鶴親善大使も務める。

その人の名前はフロイド・シュモーさんです。アメリカ人のシュモーさんは原爆の惨事を知り「ヒロシマの家」を造った人です。

森林学者のシュモーさんは「平和第一主義」を信条とする、クエーカー教徒でした。そして原爆投下を「野蛮の極み」と非難しました。この発言は当時の状況を考えると、とても勇気のある行動だったと思います。そして「すべてのアメリカ人が原爆を認めているわけではないことを伝えたい」と、家を焼かれ住むところを失った人たちのために「ハウス・フォー・ヒロシマ(広島に家を)」と訴え、アメリカ国内で募金をし、また先頭に立ち建設にあたった人です。

当時のシュモーさんはすでに、50代も半ばを過ぎていましたから、たぶんみなさんのお父さんやお母さんよりも高齢になってからの行動でした。

今も「ヒロシマの家」が、広島市中区江波二本松1丁目に「シュモー会館」の名前で公民館として唯一残っています。

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また、シアトルにはシュモーさんが作った「ピース・パーク(平和公園)」がワシントン大学のそばにあります。この小さな公園の中央にはサダコ像が立っていますが、いつもその手には千羽鶴がかけられているんですよ。

シアトルでは毎年8月6日、市内の湖で「フロム・ヒロシマ・トウ・ホープ」(広島から希望を)と題された、灯籠(とうろう)流しが行われています。このセレモニーは海外で行われている原爆追悼イベントとしては最大のものと言われ、今年で25回を数えています。毎年30近い団体が参加していますが会場では子どもたちが折り鶴を折り、広島や市内の小学校に贈っています。

今、広島市中区の原爆資料館で「海外からの支援」と題し、企画展が行われています。この中にはシュモーさん自らが製作した8ミリフィルムが放映されています。今回初公開されている、このフィルムには当時の様子を知るとても貴重な動画が含まれていますので是非見てくださいね。

みなさんの住んでいる広島は日本だけの街ではなく、世界のヒロシマなのです。