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世界の中のヒロシマ

(18)平和音楽祭 反核高らかに神鳥 静

8月5日、メルボルンでJfP( Japanese for Peace )主催の「ヒロシマ&ナガサキ平和コンサート」が行われました。

JfPは被爆60周年だった2005年、世界唯一の被爆国出身者として、原爆の恐ろしさを広く知らせよう、平和への思いをオーストラリア人と広く共有しよう、という思いを持った日本人10人が結成しました。現在そのメンバーは倍になっています。

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上=さまざまな国の音楽が演奏された平和コンサート(8月5日)
 下=集会に先立ち、約800人が市内中心部をデモ行進した

かんどり しずか

広島市中区生まれ。大学卒業後、1998年にオーストラリアへ移住。メルボルンの中学、高校で日本語を教えながら、被爆三世として広島の思いを伝えている。

コンサートは反核、平和団体が核廃絶をアピールする「ヒロシマデー反核集会」と連携して開いています。

この日は約800人が市中心部を「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ」のプラカードを持ち、約1時間歩きました。その前の集会は、私が広島出身の被爆三世としてスピーチしました。

私の親族、知人に被爆者が多くいること、原爆で亡くなった人たちだけではなく、たくさんの人たちが苦しみ、それが今も続いていること、そして、平和記念公園の慰霊碑の碑文「過ちは繰返しませぬから」という言葉を守るためには、被爆の様子を後世にも伝えていかなければならないことなどを話しました。

スピーチの後、戦後にオーストラリア駐留軍として日本に派遣され、1946年に広島に駐在したという85歳の男性に声をかけられました。当時、中区吉島で旧ソ連軍の動きを監視するためのレーダー建設にかかわったそうです。写真もまだ持っている、と話してくださいました。このおじいさんにとって、日本は敵国だったのに、このような集会に参加された事に感動しました。

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集会終了後、午後3時からいよいよコンサートが始まりました。300席の客席は埋め尽くされ、とても感動的なステージでした。日本の三味線、和太鼓、インドの打楽器、チベットの銅鐘などを使った音楽が演奏されました。特に今回は、コンサートの収益金をスーダン、ダルフール支援を行っている非政府組織(NGO)に贈ろうと、ダルフール出身の女性シンガーも招き、アフリカから来た子どもたちと一緒に歌い、大好評でした。

曲の合間に被爆者から頂いたメッセージや、メルボルンの大学教授による核廃絶、核兵器にまつわる国際情勢などについてのお話があり、戦争のない世界を子供たちに残そうと誓いました。

世界から核兵器をなくすこと、そして武器を持って戦うのではなく、地球に住むみんながつながりを大切に、互いの民族やその背景への理解を深めていくこと、という私たちの願いを伝えることができたと思います。


※コンサートの様子を動画で見ることができます。
 http://jp.youtube.com/watch?v=Z0tXxk_fng8