中国新聞


日本女性会議2007ひろしま
7000人参加 男性の発言目立つ


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全国から延べ7000人が集い、男女共同参画社会の実現を誓い合った「日本女性会議2007ひろしま」(撮影・今田豊)

 広島市で十九、二十の両日開かれた「日本女性会議2007ひろしま」(実行委、広島市主催)。全国から延べ七千人が集まり、幅広いテーマで議論を交わした。少子高齢化が加速する今こそ、男女共同参画社会基本法(一九九九年に制定)がうたう「性別にかかわりなく個性と能力を発揮できる社会の実現」へ向けて行動することが、いっそう求められている。

 「子育て支援」「就労・働き方」をはじめ十六の分科会で、男性の発言者や参加者が目立ったのが印象的だった。少子化の原因を出生率の低下など女性に押しつけるのではなく、男性も「仕事と生活の調和(ワークライフバランス)」に取り組むべきだとの考え方が現れているといえる。

 男性の「家庭進出」の兆しを歓迎する一方で、「遅々として進んでいない」との厳しい指摘があったのが、政策決定の場への女性の参画。

 大会を後援する内閣府の板東久美子・男女共同参画局長の基調報告でも、女性の政治・経済への参加度を測る国連の「ジェンダーエンパワーメント指数(GEM)」は、日本は七十五カ国中、四十二位(二〇〇六年)と下位にあることが浮き彫りとなった。

 政策に女性の視点が反映されないままでは、くらしや命が損なわれる―。焦りにも似た訴えが、災害や環境、食育、地域などの分科会で相次いだ。韓国の前国会議員李〓淑(リヨンスク)さんは、女性国会議員を自国で倍増させた運動を紹介した。「日本女性も奮起してほしい」とのエールを真剣に受け止めたい。

 最終日のシンポジウム「男女共同参画を超えて」では、「ダイバーシティ(多様性の受容)」という社会の方向性が示された。男女にとどまらず人種や年齢、障害など互いの違いを認め、尊重し合う社会だ。

 ところが身近な地域に目を転じても、男女共同参画社会の実現すらいまだ遠い現状がある。今大会があった広島県内の二十三市町のうち、男女共同参画社会を促す条例を制定したのは四市。基本計画の策定でも十五市町にとどまる。

 大会の共同実行委員長を務めた今中亘・中国新聞社特別顧問は「市民と行政の協働で運営した大会を契機に、広島をはじめ中国地方で男女共同参画推進の機運を高めたい」と誓う。同委員長の川瀬啓子・安田女子大教授も「市民が主体の分科会では思う存分に討議ができ、進むべき方向性が見えてきた。若い世代も巻き込んで活動を深めたい」と期していた。

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■分科会報告
 (子育て支援) 仕事と生活 バランスを

 大会初日の十九日は、十六のテーマを扱った分科会を広島市中区の広島国際会議場などで設けた。「子育て支援」「女性と政治参画」「福祉」「水の都広島」の四分科会の内容を伝える。参加者らは、子どもから高齢者まで、あらゆる世代が生き生きと暮らし、人と自然が共生する社会を願い、議論を深めた。

 「子育て支援」分科会のシンポジウムでは、育児休業を体験した広島在住のパパ四人がパネリストとして登場し、子育ての喜びと苦労について語り合った。「仕事と生活のバランスの取り方を見直そう」との呼び掛けは、聴衆から共感を集めた。

 四人はそれぞれ一年―五日間の育休を取得。異口同音に「大変なこともあったが、休んでよかった」と体験を話した。三次市職員の松本聖治さん(33)は妻の初めての出産後に一カ月間休んだ。「夫婦一緒に育児に慣れ、妻の心の支えにもなれたと思う」と振り返った。

 広島市内の高校教諭、堀江隆さん(38)は「育休前は近所付き合いがなかった。家族ぐるみの知り合いが増え、地域で安心して子育てができるようになった」と、家族内にとどまらない「育休効果」を紹介した。

 行政に「父親支援」を訴える声もあがった。広島銀行の男性社員で初めて育休を取った大畑寿さん(36)は「平日の昼間に子連れで外出すると、どこも母親ばかり。肩身が狭かった」と告白。行政の育児相談の窓口に「男性職員も配置してほしい」と要望した。

 育休中の経済的支援を求める意見も相次いだ。特に子どもが一歳以降に育休を取る場合は、現行の雇用保険や共済組合の制度では原則的に賃金保障がゼロになる。「住民税など支払い負担は重いままで大変」(堀江さん)との訴えも出た。

 四人とも口にしたのが職場の理解の重要性。松本さんは、三次市が子どもが一歳半になるまでに二カ月間の有給休暇取得を職員に義務付けた「子育て特別休暇」制度を解説。「制度のおかげで、育児休業を決意できた」と心の内を明かした。

 デリカウイング(本社・廿日市市)社員の田中聡一郎さん(35)は、第二子の出産に合わせ、五日間の有給休暇を取るよう社長から勧められた。「自分が休むと職場が回らなくなるのでは、とちゅうちょした。実際、休んでみたら支障はなかった」と苦笑い。「忙しさから子育てを妻任せにするのは『当たり前』と思い込んでいた。仕事の効率性を見直すことにもつながった」と、育児休業の体験と実行を促した。(西村文)


 大会での討議でも関心を呼んだ、「女性が働きやすい職場」と「仕事と生活の調和(ワークライフバランス)」をテーマにした二人の基調講演を紹介する。

■特定非営利活動法人「女性と仕事研究所」代表理事
 金谷千慧子(かなたに・ちえこ)さん

 働きやすさ 企業評価に

 企業をはかるモノサシが変化してきた。つい最近まで「大きくて名前が通って、よくもうかる」が尺度だった。今は、それではいい企業とはいえない。企業の社会的責任として、法令順守や環境保護だけでなく、女性が働きやすい環境づくりが含まれるべきだ。

 欧米では、一九七〇年代に「スモール・イズ・ビューティフル」という言葉が現れ、悪いことをしてもうけるのはいい企業ではないと変わった。日本で意識が変わり始めたのは、この四、五年だろう。

 特に最近、企業の幹部が頭を下げる事件が増え、企業の「社会的責任(CSR)」という言葉がずいぶん普及した。ただ社会的責任の内容はまだ弱い。法令に違反していない、環境にやさしい―などの要素にとどまっている。

 企業の「ステークホルダー(利害関係者)」は、社長や株主だけではない。消費者や地域など多岐にわたり、国際的には従業員の比率も非常に大きくなっている。女性がちゃんと働ける企業かどうか、それもCSRの重要な要素だ。しかし、日本は遅れている。

 どうすればいいのか。例えば働いている女性たちが、女性を活用している企業に投資をすればいい。企業の社会的責任に投資する「SRI」だ。社会的責任の内容に、「ワークライフバランス(仕事と生活の調和)」の実践を取り入れる。そうなれば、私たち一人一人が世の中を変えていくことができる。実際に、育児休業などの制度の運用や、雇用形態などを評価する投資信託が市場に登場している。

 企業の評価基準の中に、女性労働の視点を盛り込まなくてはならない。企業はステークホルダーに女性労働者を盛り込み、女性を管理職に積極的に登用するべきだ。女性が働きやすい企業は業績も向上するという傾向は、国際的にもはっきりしている。(平井敦子)


■独立行政法人経済産業研究所総務副ディレクター
 山田正人(やまだ・まさと)さん

 育休取得 情愛生まれる

 私と妻は同じ年に旧通産省に入省した同期で、双子が生まれたときは妻が育児休暇を取った。第三子が生まれ、二〇〇四年十一月から一年間、私が育休を取得した。

 三人目の子の妊娠は夫婦で受け止めが違った。私はうれしかったが、妻は「産めない」と言う。双子の育児を私はほとんどせず、妻は死ぬような思いで育てた。だから喜べなかったようだ。妻との心の隔たりを埋めようと育休取得を決めた。

 最大の問題は職場。上司に申請書を提出すると「一年も取るとは」と驚かれた。「当たり前かもしれない」と言う同僚もいて、世代で受け止めがずいぶん違った。

 体験して育児の大変さが分かった。夜中に数時間おきにミルクを与えるため熟睡できない。子どもが突然吐くなど想定外の事が次々起きる。一日中、子どもと過ごすと精神的にめいった。

 男性ならではのつらさもあった。近所の人に好奇の目で見られ、公園のお母さんたちの輪に入りにくい。平日の昼間に訪問できる知り合いもいなかった。ついに「プチうつ」の状態に陥り、二週間寝込んでしまった。

 育児は完ぺき主義ではいけないと思い、「無理しない育児」に方針を変えた。それで気が楽になった。他の母親の友達もでき、うつから脱却できた。育休六カ月目ごろから毎日が楽しくなった。親としての情愛が、育児に汗水垂らして生まれた。育児、家事の全体像を知って、妻と公平な議論が初めてできた。

 職場に復帰後は仕事のやり方を変えた。残業の前提をやめ、能率を重視している。父親が育休を取る最大の課題は、残業時間の長さだろう。

 育休を取った父親を「公務員だからできる」「大企業だから」などとレッテルをはっていないか。言い訳をつくり、子育てから逃げるべきでない。少子化に歯止めをかけるには経済的支援も必要だが、働き方を変えることが重要だ。(寿山晴彦)

(2007.10.25)


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