中国新聞


【社説】新たな出生前診断



 生まれてくる子どもが染色体異常のダウン症かどうか。妊婦からの採血で99%分かるという触れ込みの出生前診断が今月にも、国内で臨床研究に入る。

 母体に害を及ぼさない利点の一方、「命を選別する」風潮を助長することが懸念されている。先に導入された欧米で、人工妊娠中絶という選択につながる例が後を絶たないからだ。

 望んだはずの妊娠が、あらぬ方向へと振り回される―。日進月歩の遺伝子研究がもたらした技術を、私たちの社会はどう御していけばいいのだろう。

 小宮山洋子厚生労働相は、日本産科婦人科学会に自主規制を求める意向だ。法律の立ち遅れについて「国民的な議論が必要では」との認識も示した。

 1970年代に始まった日本の出生前診断は新たな検査法が登場するたび、泥縄式で運用のガイドラインを繕ってきた。医療現場が手探りで進め、社会的なコンセンサスは熟さないままきたのが現状といえる。

 今度こそ、その轍(てつ)を踏んではなるまい。

 訴訟リスクが頭をよぎる産科医師もいよう。出生前診断を積極的に勧めないまま、先天的な障害がある子どもが生まれた場合、医師の過失とする判決が米国では目立つという。

 その点、日本では99年に国の専門委員会が見解を提示。専門家によるカウンセリングの体制が不十分で、医師は診断法を積極的に知らせる必要はなく、勧めるべきでもないとしてきた。

 加えて、羊水や胎盤組織で調べる確度の高い検査には流産のリスクがわずかながら伴う。

 そうした「歯止め」がきかなくなる恐れが今回出てきた。産科婦人科学会もおとといの声明で安易な検査の実施に警鐘を鳴らし、カウンセリング体制の早急な整備を訴えている。

 では、それさえ整えば、ことは収まるのだろうか。

 新しい技術は、米国の企業が開発したものだ。検査といっても事実上の診断に近い。検査データが業者の元に残れば情報漏れやビジネス転用といった不安も拭えない。当然、法の整備を視野に置かねばなるまい。

 それ以上に気掛かりなのは、欧米では妊婦対象のふるい分け検査として、この技術が広く応用されていることだ。

 個々のカップルによる自主的な受診とは違い、出生前診断を一般化することは差別に直結する。障害者の命や生きる権利をないがしろにし、共に生きる社会を根底から覆しかねない。

 日本ダウン症協会によれば、欧州人権裁判所に提訴されるなど、一律の診断には国際的にも批判が高まっている。

 出生前診断は本来、産後の療育を支える用意をするためのものだろう。母体保護法では、中絶の条件として基本的には「胎児の異常」を認めていない。

 プロゴルファー東尾理子さんは「どんな赤ちゃんでも幸せ」と言い切り、ダウン症の可能性を指摘されたおなかの赤ちゃんを産む決心をしている。

 周りがどう受け止め、支えていけるかということも大切だろう。ダウン症児や家族と普段から接し、声に耳を傾ける努力が欠かせない。

 パラリンピックも開催中だ。家庭や学校、地域で障害について関心を持ち、話し合う機会をもっと増やしたい。

(2012.9.3)





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