中国新聞


子育て日本一のまちへ
−周南市の断面−
<上>小児救急医療

医師の負担増 体制限界

 センター構想 議論必要

 大粒の涙を流しながら泣きやまない乳児。ソファには幼児が、ほおを染めてだるそうに座る。「急に吐き始めた」「おなかが痛いと泣く」「熱が下がらない」。午後七時からの診療を待つように、子どもを連れた保護者らが次々に訪れる。

 車の離合が困難な狭い坂道を上ると、周南市慶万町の市休日夜間急病診療所がある。小児科、内科、外科の当番医が毎晩午後十時まで診療。休日の昼間と合わせ、昨年度の利用者一万二千四百人のうち、小児科は六千五百人と半数を占めた。

地図

■5年前の1.8倍に

 内科、外科がほぼ横ばいで推移するのに対し、小児科は急増している。三千六百人だった五年前と比べ、昨年度は一・八倍。核家族化の中で保護者が過敏になり、「夜のうちに良くなるなら」と共働き家庭の切実な事情も重なる。

 〇一年十月、徳山小児科医会の担当に下松、光市の小児科医も参加。三市の医師で三市の子どもを診る体制をつくった。医師不足は山口、広島大の付属病院に応援を頼み、現在計二十六人の開業、勤務医が担当する。

 しかし、診療所は十分な設備はない。重症患者や午後十時以降は約三キロ離れた周南市孝田町の徳山中央病院に集中する。

子どもが次々に訪れる周南市休日夜間急病診療所。小児科を受診する人数が急増している

 同病院は新生児集中医療など二十四時間、三百六十五日体制。小児科では医師五人が月五、六回当直するなど、「使命感で頑張っている」が医師も高齢化し、負担は深刻だ。救急医療体制は「限界が近い」という。

 診療所で呼吸停止になれば、当番医は救急車に同乗し、同病院に搬送。その間、診療所は小児科医が不在となる。

 三市がエリアの周南小児科医会の賀屋茂会長(55)は、「地域小児科センター」として徳山中央病院に診療所を併設するよう訴える。相互の医師が連携しやすく、機能も効率的に分担できる。

 さらに、同病院の内田正志小児科部長(54)は、三市の助成で勤務医を二、三人増やし、午後十時以降の体制のシステム化を提言する。医師の過重軽減にもつながる。

■市と折り合わず

 賀屋会長や内田部長らは、昨年七月に閉鎖した保健福祉センター「ヘルシーパルとくやま」への誘致を考えていた。同病院と廊下でつながり、社会保険庁の福祉施設の見直しに伴って取得。井上幹茂院長(66)は今年二月、一部を診療所として提供する、と市に提案した。

 が、折り合わなかった。市の施設ではなく、永続的な運営が懸念され、現診療所の開設に伴う国、県からの交付金と補助金の返還も見込まれる。病院内に合意形成がないなどが理由だった。河村市長は「広域的な施設を考えたい」と述べる。

 「長くは待てない。ぎりぎりに来ている」と賀屋会長。内田部長は「医師が頑張るだけでは、次世代のためにならない。地域医療をどうするか、最終的には行政の決断が大きい」と話す。「今こそ広範囲な議論が必要だ」。二人は呼び掛ける。


周南市休日夜間急病診療所 徳山医師会が1963年から運営していた休日急病診療所を、79年5月に徳山市、新南陽市、鹿野町の旧2市1町が協議会を設置し引き継いだ。夜間診療は90年4月に内科と外科、99年6月に小児科を始めた。現在の施設は79年3月に完成。昨年度の小児科利用者は、周南市が4790人で73%、下松市930人で14%、光市420人で6%を占めた。下松、光市の助成はない。

◇  ◆  ◇

 一人の女性が生涯に産む子どもの数を示す合計特殊出生率は二〇〇五年、日本は過去最低を更新し一・二五となった。まちづくりは、少子化対策や子育て支援を避けて通れない。平成の大合併で県内一番乗りだった周南市の河村和登市長は「子育て日本一のまちをめざす」と公言し続ける。日本一へ市が抱える課題を追う。(土井あゆみ)

(2006.7.20)

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