中国新聞社

(17)私の亡き後葬儀・保険…個条書きに

2001/8/26

 悪い時に、悪いことは重なるものだ。肺がんだったしゅうとが、いよいよとなった。八十六歳になるが、きりぎりまで仕事をして、お気に入りの病院に入院していた。

 自分の手術が迫っていたが、最後のいとまごいをしておかなくてはと、車を走らせ、とんぼ返りで山陰へ向かった。寒い、風の強い日だった。

 帽子とマスクで完全防備の私を、しゅうとは不思議そうに見ていたが、声で分かったのか、ゆっくり手を伸ばし、握手を求めた。冷たい手だった。何もしてあげられない私は、二時間ほどたんを取ったり、体位を変えたりしながら、家族に世話の手ほどきをして、自分の病院へ戻った。

 しゅうとが亡くなったのは、その七日後だった。がん告知された時から、「弔辞を読むのは、この人に…」などと自分の葬儀の段取りを済ませていた。二十年前から、医学生の実習用に遺体を提供する献体登録し、香典返しの品は倉庫に山ほど準備してあった。

 先に亡くなったしゅうとめと同じ墓に入るのだと、町を一望できる所に建てた墓碑に、法名まで書き入れていた。まさに準備万端。私はひとり病室で、しゅうとのめい福を祈った。

 「手術には行けるから」。葬儀を終えた夫から、意外と明るい声で電話がかかってきた。

 私は万一に備え、「私の亡き後」について、分かりやすいように個条書きにしておいた。本当は手術前夜、ゆっくり再確認しながら、夫に直接話そうと思っていたが、病室には泊まれないというので、そうしたのだ。

 連絡してほしい友達のリスト、貯金の分配、保険のこと、葬儀はお花葬で、黄色いバラをいっぱい飾ってほしいこと…。

 しかし、私は「絶対生きて戻るぞ」という強い信念があった。やりたいことがいっぱいあるのに、もう少し生きたい。

 当日の朝、夫は「ねむーい」と言いながら、ボサボサ髪でやってきた。

 「生きて戻ったら、好き放題していい?」

 「もう十分、好きにしてるんじゃないの」

 「もし死んだら、原因を究明してね」

 「まかして」

 「一人でやっていける? さみしくない?」

 「なってみんと分からん」

 「なんか、私に言うことない?」

 「あんた、本当におしゃべりじゃねえ…」

 いつもの会話の中で、手術室へ向かった。

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