中国新聞社

(30)母の入院病人から介護する側に

2001/11/25

 おなかの横にぶら下げた袋には、ほとんど排液がたまらなくなった。管が抜けて帰れるかなと思うが、まだ先のようだ。

 ゴールデンウイークも過ぎたある日、デイルームで昼ご飯に添えてあったりんごをガッとかんだ。すると、ポロッと歯が折れた。びっくりして鏡をみると、なんとも情けない顔になっている。

 しんどい時、食後の歯磨きをしなかったし、歯石も八カ月取っていない。虫歯になってしまっていたのだろうか。それとも、かむ時に思い切り力が掛かったせいか、などと考えた。

 「歯が折れるなんて…」。なんとなく、一人暮らしの母のことが気になり、電話を掛けた。兄が出た。

 「おかあちゃんは?」

 「うーん。いまひとつ…」

 「調子悪いの?」

 「うーん」

 「どうなん?」

 「ちょっと代わる」

 しばらくして、電話の向こうから聞こえてきたのは、母のか細い声だった。「いろいろ、ありがとう」

 びっくりして、兄に矢継ぎ早に尋ねる。八十歳の母は慢性の呼吸器の病気があって、在宅酸素療法をしていた。少し前から、しんどくなっていたらしい。私に言うと心配するからといって、兄にも口止めし、月一回の受診日までじっと我慢していたようだ。

 「肺炎かもしれない。命取りになりかねない」。そう直感した私は、一気に病人から、看護婦に戻った。母のかかりつけの病院へ電話し、入院を予約した。

 私も入院なんかしていられない。袋をぶらぶら下げたままだけど、自分で消毒すれば、大丈夫だ。翌日、退院を願い出た。必要な物品をもらい、ベッドの周りを片付けて、みんなにあいさつして回った。あの人、この人も気にかかる。名刺を配り、携帯電話の番号を書いて手渡した。

 「さみしいわ。相談に乗ってもらえる人がいなくなる」

 「また、外来受診の時に来るね」

 車を走らせ、母の入院している病院へ直行した。先生から説明を聞く。マスクをし、かつらをかぶった私の姿を見て、不思議そうな顔。「きょう退院してきたんです。がん治療中で…」と言うと、納得した様子だった。

 患者から、患者を抱えた家族の立場へ―。休む間もなく、私の介護生活が始まった。

Menu ∫ Back ∫ Next