中国新聞社

(31)親をみる体と折り合いつけ奮闘

2001/12/2

 母が入院した病棟には、肺がんで治療中の患者さんもたくさんいて、廊下を歩いたり、デイルームに出て家族と話をしていた。

 ずっと女性ばかりの病棟で生活してきた私は、男性の患者さんが、紺色のバンダナを頭に巻いていたり、くるくる頭で過ごしている風景を見ると、ちょっと違和感があった。赤やピンク、黄色といったカラフルな色彩が少ないからだろう。

 私のいたところには産科があったので、赤ちゃんの泣き声や、その兄弟姉妹の見舞いもあったりで、にぎやかだった。それに比べると、ここは街中なのに、遠くに電車の音が聞こえるのと、出入りする救急車のサイレンを我慢すれば、あとは静かなものだ。

 母の状態が不安定で、食事も一人でままならないので、毎日、マスクをし、かつらを着けて病院に通った。おなかに管を入れたままなので、動きやすいようにスカートの中に袋を着けていても、タクシーや電車の乗り降りはわずらわしい。二週間後の次の受診日には、管を抜いてくれるに違いない。それまでの辛抱と、言い聞かせる。

 がん治療は終わったとはいえ、まだまだ体力は回復していない。トイレに行って「ハー」と、大きななため息をつく。隣で手を洗っている小柄なお年寄りのご婦人が、「どなたのご看病ですか。お若いのに大変ですね」と、ねぎらってくれた。

 お世辞かもしれないけれど、若いと言われたこと、患者ではなく家族と見られたことが、意外とうれしかった。病人らしさが抜けたのかな、見た目が少しずつよくなっていっているのかな、などと思った。

 「八十歳になる母を看病しに来てるんです」

 「まー、親孝行ですね。私が頑張るしかないんです」。母と同じくらいの年代に思える女性は、うらやましそうに私を見上げた。

 「私もつい最近まで、入院していたので、親不孝していたんです。先に私が逝っていたら、もっと親不孝したんですが、どうにか生きて、こうして看病できて…」

 「あらー。大変でしたねえ。精いっぱいみてあげてね。いつまでも親はおらんからねえ」

 「確かに…」

 思いが込み上げてきて、病室で寝ている母の姿を見やりながら、目が潤んできた。なんとか体と折り合いをつけながら、みていこう。でも、残された時間はあまりなかった。

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