中国新聞社

(32)在宅介護体にムチ打ち母みとる

2001/12/9

 「家に帰りたい」と母が言い出した。医師からみると、とても家に帰れる状態ではない。しかし、本人は納得がいかない。「何とかしてほしい」ということは、重々理解しているが、私を見つめる母の目も日々変わってくる。

 初めは訴えるような、だが時間がたつと抗議しているようにも見える、さらに半ばあきらめているような目をした時、私は「連れて帰ろう」と決心した。状況はさして変化ない。このまま病院にいても在宅でも、大きな変わりはないように思えたからだ。

 決めると早い。介護保険の申請をし、在宅への移行の準備をした。病院の主治医の説明では、半年もつかどうからしい。退院許可をもらい、往診してくれる医師を探した。

 「この先生がいいよ」という評判を頼りに聞き回ったり、以前訪問看護でチームを組んだ先生の情報も参考にしながら、ある医師を選んだ。訪問看護とヘルパーさんもお願いした。ケアマネジャーさんと相談してベッド、エアマットもそろえた。用意万端。いよいよ在宅での介護が始まるのだ。

 その間も受診していた私は、少しずつ体力を回復していった。おなかに入れたチューブもやっと抜いてもらって、本当に自由になった。

 髪も産毛が生え始め、しばらくすると、やんわりとカールした巻き毛になる。「どしたん。パーマかけたみたいね」と言われる。直毛で硬い髪の毛だったのに、抗がん治療で変異がおきたのだろう。髪の毛だけは、赤ちゃんからスタートだ。

 介護生活も兄たちと三人が交代でやり始めた。眠い夜もあり、寝とぼけながら、おむつ交換した。朝早く起きて、みそ汁を作ったり、洗濯物を干したり…。まさに「生活リハビリ」なのだが、身体が前のようにうまく動かない。身体の細胞がさびている感じだ。「油を差すと、もっとうまく動くのになあ」と思ったりもした。

 奮闘する姿をみて、「無理は禁物。健康が大事でしょ」と母。「頭を触らせて」というので、そうさせてあげたら、「あー、気持ちいい。いい毛が生えて、よかったね」と喜んだ。

 母に頭をなでてもらうのは何年ぶりだろう。そんな毎日を繰り返すうちに、いよいよ別れの日がきた。半世紀を過ごしたわが家で、八十年の人生の幕を静かに閉じた。

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