中国新聞社

(35)外来受診入院仲間に元気もらう

2001/12/30

 外来受診を月一回の割合でしていると、待合室で入院中の仲間と出会うことがある。互いの無事を確認し合い、ひとときを過ごす。

 長い待ち時間。自分の名前を呼ばれないかと気にしながら、「食欲出た?」「髪の毛は伸びた?」「体重は?」「どこか行った?」など、たわいのないことを聞き、自分と比べたり、参考にしたりすることで、貴重な情報交換の場になる。

 抗がん剤治療を終えて、八カ月になった。腫瘍(しゅよう)マーカーのチェックや内診が、毎月の受診の主な目的なのだが、こういった共通の話ができるのも、楽しみの一つだ。ちょっとしたクラス会の気分といえるかもしれない。

 受診後は、病棟に行ってみる。看護婦さんもおなじみだ。「元気そうね」と声を掛けてくれると、本当にうれしい。まだ治療中の人もいるし、退院したけれど再入院している人もいる。

 出たり入ったりしながら、治療を続けることは、本人はもちろん、周りの家族にとっても持久戦だ。つらいこともあるだろう。入退院を繰り返しながらも前向きに取り組んでいる人をみると、なんだか元気をもらっているような気持ちがする。

 「また私が入院してると知ったら、気が落ち込まない?」と、かえって心配してくれる患者さんもいる。再発や悪化がつらいことは間違いない。少しでもよくなることを祈るばかりだ。何もしてあげられないが、また次の受診の時に、話しに行ってみようと思う。

 まだしびれは手足に残っているものの、車の運転にもなれた。ただ、五十肩で腕が思うように動かせないので、駐車場では思わぬ苦労をする。

 ねらいを定め、車の窓から手を出して駐車券を装置に入れようとするのだが、うまくいかない。いらついた後ろの車が、クラクションを鳴らす。料金のコインも、転がって下に落ちる。前にも後ろにも動けないまま、結局、「下がってくださーい」。車から降りてカードを差し込み、やっとコインを入れた。

 差し込み口や料金口が広ければいいし、ちょっと手助けしてくれる人がいれば済む。障害をもっている人がやれることとできないことは、一見して分かるわけではない。「困っている様子を見かけたら、一声掛けてほしいなあ」。切実にそう思う年の瀬である。

Menu ∫ Back ∫ Next