中国新聞社

(42)死を思う父母の愛、出会いに感謝

2002/2/24

 川のほとりに住んでいるので、朝起きるとカモが並んで泳いでいたり、貝採りをしている人が腰をかがめているのが見える。今までは、ゆっくりと眺めることもなかった景色だ。がんになって、季節の移ろいや木々の色あいの変化が、とても新鮮に感じられる。

 近くに、以前から私のお気に入りの大きなイチョウの木が二本ある。緩和ケアの研究会から帰る道すがら、顔なじみの医師にその木を指差した。

 「先生、私が死んだらこの木の下に、骨を少しだけ埋めてほしいと思っているんですよ」

 「ええ?」

 「犬にオシッコかけられてもいいから、この木がいいな」

 「そんなことを聞くと、ここを通るたびに見たり、思い出したりするじゃない」

 「そう。それがねらい」

 病気になると、死後のことを真剣に考えてしまう。看護婦という仕事柄、今までも考えていないわけではなかった。しかし、「自分の死がそこにある」と本当に知ってしまったからには、心の「配線」も違ってくる。

 人に会うと、「この人とはもう会えないかもしれないな」「今まで親切にしてもらったけど、お返ししてないな」「もっと、会って話をしたいな」…など、あれこれ思ってしまう。

 ふと父母を思い出した。仕事人間の私は、よく注意されたものだ。

 「人には親切。二度と会えないかもしれないのだから」「言葉は口から出してしまうと取り返しがつかないので、よく吟味して使うこと。文章も同じで推敲(すいこう)を重ねること。誤解を招くこともあるのだから」

 結構言いたい放題、やりたい放題してきた私への苦言だったのだろう。

 久しぶりに実家に行ってみた。家の主がいないせいか、ひんやりと寒い感じがする。仏壇の前に座ると、小さな写真になった二人が並んでいる。じっと私を見すえているようだ。思わず、「スミマセン」とうなだれた。

 かつての私の部屋に、娘時代の私の服や着物などが、整理して置いてあった。目を凝らすと、小学校に入学した時の物から、折節の思い出の品々が大切に取ってある。

 「どれどれ」と、いくつか箱を開けてみた。黒のフェルトの帽子にベルベットのリボン…、小学生の時の物だ。四十年の時を超えて手に取ると、生きてきた時間の重みを、しみじみと感じた。

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