中国新聞社

(43)出会い一番励まされるのは私

2002/3/3

 長細い郵便小包が届いた。開けると、いっぱいのネコヤナギ。手紙が添えてある。送り主は、このコラムの読者の方だった。

 彼女もがんを患い、「そう、そう。ウン、ウン」と、読んで下さっているという。入院中はコラムが楽しみで、励みにしていたことも書き添えてあった。厳しい冬に耐え、春を迎えたネコヤナギは、彼女そのものかもしれない。

 がん体験は、たくさんの人との出会いでもあった。数だけではなく、濃い密な出会いだと思う。たぶん、病気にならなければ、出会うこともなかった人たちだろう。手紙や電話でおしゃべりをしたり、相談に乗ってもらったりで、互いに助け合って生きている。

 仕事をしていると、自分ががん患者であることを忘れてしまいそうになる。おなかの傷を確認して、「うーん、やっぱり」と現実を思い出す。月一度の受診日に、入院仲間に出会うことが時々ある。話し込む時は一気にがん患者になって、情報交換する。元気そうだと安心するし、「腫瘍(しゅよう)マーカーが上がったり、下がったり…」と聞けば、「心配だね」といたわる。

 「みんな励みにしてるよ」と言ってくれる。でも、実は私が一番励まされているのだ。再発で治療が始まった仲間もいる。「みんな頑張っているなあ」と、一人ひとりの顔を思い浮かべながら、病院を後にする。

 ある日、男性の声で電話があった。母親のことが心配で、「治療やこれからについて相談したい」という。私は医師ではないので、解決できないことが多い。でも、みんな情報を求めていることは痛いほど分かる。主治医にゆっくり話を聞いてみること、セカンド・オピニオンという方法もあることを説明した。

 電話を終えて、「こんな時、患者の頼れるがんセンターがあったらなあ」と思った。

 がんセンターをつくる構想はとん挫したまま。財政難といっても、みんなの命がかかっている。がん治療はどんどん進化しているので、まだ救える人もたくさんいるのではないだろうか。でも患者の多くは、どの病院や医師にかかればいいのかさえ、皆目見当がつかないのが現実なのだ。

 「赤字でも、がんセンターがつくれるくらいの度量が、政治家にはいるのよね」。つい、そんな愚痴も出る。

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