日本

大久野島毒ガス資料館(広島県竹原市)

(09年7月26日)

◆竹原市民生部福祉保健課 今栄真理

 周囲約4キロの大久野島は広島県竹原市忠海町の沖合3キロに浮かぶ。1927年に旧陸軍の管理下となり、住民は全員立ち退きになった。29年に東京第二陸軍造兵廠(しょう)火工廠忠海兵器製造所(後に東京第二陸軍造兵廠忠海製造所)が建設され、45年の終戦まで毒ガス兵器を製造した。

 国際法で毒ガス兵器の使用は禁止されていたため、旧日本軍は大久野島を地図から消し、関係者以外に事実を伏せた。竹原市域を中心に広島県内各地から最盛期には1日約6千人が危険な作業に従事。年間1200トンの毒ガス兵器を製造した、といわれる。戦後の報道で、大久野島が毒ガス製造の拠点だったことが徐々に明らかになった。

 この島で毒ガス製造に携わり、多くの犠牲者が出た事実を後世に伝えるため、88年に広島県・関係市町と毒ガス障害者団体が協力し、当館を開館。大半の関連資料は既に処分されていたが、元従事者やその遺族たちから貴重な資料が寄贈された。工員手帳、毒ガス弾、毒ガス製造装置や防毒具などを展示。研修室では、毒ガス製造所の様子や元従業員の証言映像を常時上映している。年間約2万7千人が訪れ、毎年10月には犠牲者を慰霊する式典も開く。

 風光明媚(めいび)な大久野島は瀬戸内海国立公園に指定され、明るい「平和の島」として生まれ変わった。多くの人に足を運んでほしい。

住所  広島県竹原市忠海町5491番地
電話  0846-26-3036
ホームページ  http://www.city.takehara.hiroshima.jp/machitukuri/dokugasusiryokan.jsp
休館日  12月29日-1月3日
入館料  19歳以上100円、19歳未満50円(団体割引あり)

(2009年7月20日朝刊掲載)

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大久野島で使われた液体毒ガス製造装置。他の薬品に反応せず、熱に強い陶磁器が用いられた


旧陸軍が使っていた防毒衣。大久野島で使用されたものは処分されて残っていないため、同型のものを展示


毒ガスの製造に使われていた容器


大久野島毒ガス資料館の外観