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ヒロシマの声 NO NUKES NO WAR] 子どもたちの未来奪わないで 被爆者 奥本博(おくもと・ひろし)さん(92)=広島市中区

 ≪広島市の旧制修道中3年だった15歳の時、両親ときょうだい4人を原爆に奪われた。祖母と共に戦後を生き抜き、1962年、かつて自宅があった現在の本通り商店街(中区)に紳士洋品店を開いた。店を畳んだ今も、家族との思い出を胸に商店街で暮らす。≫

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 自宅兼店舗は爆心地から約420メートルにあり、両親は金物店を営んでいた。周囲は店がにぎやかに並び、友達と紙芝居を見たりメンコをしたりする楽しい遊び場だった。一帯は原爆によって一瞬で壊滅した。

 ロシアのウクライナ侵攻で、軍事施設でなく親子の憩いの場や民家が攻撃されているニュースを見た。77年前、自宅の焼け跡で灰の下にくすぶる火の熱さを感じながら立ちすくんだ感覚がよみがえった。同じようなことが繰り返されている現実に怒りが込み上げる。

 あの日、爆心地から約4・1キロの仁保町(現南区)の木材集積場に動員されていた。自宅にいた両親と一番下の妹のうち、再会できたのは母だけ。かすり傷程度だったが食欲がなく下痢が続いた。8月14日の夜明けに、足をさすってあげていたら「もういいよ」と言って息を引き取った。

 翌15日は父の避難先を捜し当てたが、既に火葬されていた。妹は自宅の焼け跡で小さな骨を見つけた。建物疎開作業や学校に行っていた他のきょうだい3人は遺骨もない。周りの大人は終戦を知って泣き悔しがっていたが、私は心細かった。今、ウクライナでも深い孤独を感じている子どもがいるだろう。胸が痛い。

 15歳で肉親を失い涙を流す余裕もなく必死に生きてきた私から、世界の政治家に伝えたい。子どもの未来を奪うことをどうか繰り返さないでほしい。(聞き手は久保友美恵)

(2022年11月18日朝刊掲載)

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