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連載・特集

ヒロシマの声 NO NUKES NO WAR] 仲良し家族 原爆で全滅 被爆者 鈴木恒昭さん(91)=広島県府中町

  ≪広島高等師範学校付属中(現広島大付属中高)2年の13歳のとき、爆心地から約2・7キロの自宅で被爆。広島市中心部の本通り商店街近くで理髪店を営んでいた叔父と叔母、いとこ4人の一家6人は全滅した。叔父が撮った数多くの家族写真を原爆資料館に託した。≫

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 ロシアのウクライナへの軍事侵攻で大変な被害が起きているのをニュースで見ている。とにかく、戦争はいけんと思うばかりだ。ましてや核兵器が使われたらと思うと、たまらない。

 叔父の鈴木六郎さんが被爆前に撮った家族写真を見るたびに、そう痛感する。人形遊びをしたり、扇風機の風を浴びたりしてあどけない笑みを浮かべる幼いいとこたち。今でも、会いたい気持ちがこみ上げる。

 4人のいとこで特に一緒に遊んだのは、2学年下の英昭君。原爆投下の前の日も川辺で一緒にエビを捕って遊びました。それが最後の別れになるとは。翌朝、私は登校の準備中に自宅で爆風を受けたが、幸いけがはなかった。でも叔父の一家6人はみんな原爆のせいで突然、命が奪われた。

 袋町国民学校(現中区の袋町小)6年だった英昭君と3年の妹公子ちゃんは登校して被爆。英昭君は大やけどをした妹を背負って逃げたそうですが、結局2人とも助からなかった。3歳だった弟の護君と1歳の妹の昭子ちゃんは理髪店で焼け死んだ。六郎さんも被爆後に救護所で亡くなり、妻フジエさんはショックのあまり井戸に身を投げた。

 六郎さんは子煩悩な人で私も子どものとき、英昭君や公子ちゃんと海水浴に連れて行ってもらった。仲の良い家族だったのに。痛ましい、というしかない。たくさんの家族の日常を奪い去る核兵器も戦争もない世界で、みんなが幸せに仲良く平和に過ごしてほしい。それだけです。(聞き手は編集委員・水川恭輔)

(2022年1月6日朝刊掲載)

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