エドマンド・ブランデン詩碑

広島を愛した英国の詩人ブランデンの詩碑(撮影・今田豊)
ブランデンは大正末期、東京帝国大(現東京大)講師を務め、戦後間もない47年に再来日した。日本の文化、教育の再建のために、全国各地を回って講演。日本を愛し、「第二の小泉八雲」とも称された。
広島は2度訪問。初回は48年、広島文理科大(現広島大)でシェークスピアについて講演し、焦土で文化を渇望していた市民に感動を与えた。翌49年、「ヒロシマ…」を発表。復興を遂げた市民への賛辞を美しい英文でうたった。
原爆投下30年後の75年、広島大文学部長だった桝井迪夫さん(故人)がこの詩を再発見。広島日英文化協会が中心となって詩碑を建設した。碑のデザイナーに公募で選ばれたのは、当時27歳で英国で活躍していた美術家鈴木たかしさん(64)=中区。「平和を思う市民の情熱が天上に昇るイメージを込めた」と振り返る。(西村文)
(2012年4月16日朝刊掲載)