京大原爆災害調査班遭難記念碑

大地を踏みしめて上へと飛躍する人間の復活を表現した遭難記念碑(撮影・福井宏史)
1945年9月17日。広島への原爆投下から1カ月余り後のこの日、昭和の三大台風の一つに数えられる枕崎台風が広島県西部地方を襲った。
当時の大野村尾立(現廿日市市宮浜温泉)にあった大野陸軍病院は、午後10時すぎに発生した裏山からの土石流で一瞬のうちに倒壊し、収容治療中の被爆者ら156人が亡くなった。原爆の惨禍をくぐり抜けながらやっとの思いで生き延びた被爆者にとって、収容先での台風による大惨害は、二重の災厄というべきものであった。
犠牲者の中には、被爆者の治療などを通して原爆災害の調査をしていた京都大医学部、理学部の教官や学生ら11人が含まれていた。調査は9月に入って始まったばかりで、メンバーの中には前日に現地入りした者もいた。
記念碑は遭難から25年後の70年9月、京大関係者の手で現場近くに建立された。設計は工学部の増田友也教授(建築学)が担当した。以後、碑前では毎年9月17日前後の休日を選んで、慰霊のつどいが開かれている。(難波健治)
(2012年3月19日朝刊掲載)