原民喜詩碑

原爆ドームを仰ぎ見るようにたたずむ詩碑(撮影・福井宏史)
「遠き日の石に刻み/砂に影おち/崩れ墜(お)つ 天地のまなか/一輪の花の幻」
碑の表に、自筆の4行詩「碑銘」が刻まれている。
小説「夏の花」で知られる原民喜(1905~51年)は広島市幟町(現中区幟町)で生まれ、東京で作家生活を送った。妻の死後、45年1月に広島に疎開し生家で被爆。翌年再び上京して文学誌の編集や執筆活動を続けたが、51年3月13日、都内で鉄道自殺した。
抑制のきいた透明感のある文体は多くの人に親しまれた。自らの被爆体験を基にした「夏の花」は原爆文学の中で最も優れたものの一つとして高く評価されている。小説の下敷きとなった原爆被災時のノートには「我ハ奇蹟(きせき)的ニ無傷ナリシモ、コハ今後イキノビテコノ有様ヲツタエヨト天ノ命ナランカ」と文学者としての使命感を記している。
没後、文学者仲間の中から詩碑を建立しようという動きが出て、51年11月には現在と同じデザインの碑が広島城跡の石垣を背に建立された。しかし、碑は子どもたちの石遊びの標的にされ、詩を刻んだ陶板は判読も難しくなったため、67年に現在地に再建した。
命日である3月13日前後には「花幻忌の集い」が、11月15日前後には「生誕祭」が開かれる。(難波健治)
(2012年1月16日朝刊掲載)