本川小学校平和資料館

本川小学校(当時は本川国民学校、現広島市中区)は、市内で爆心地に最も近く、10人の教職員と400人の子どもたちの生命が一瞬に奪われた。被害の実態は今も不明だが、奇跡的にも生き残ったのは教師と児童各1人だけといわれている。

資料館は、1928年に建てられ、爆心地から410メートルにあった鉄筋3階建て校舎の地下室と1階部分の教室の一部を保存・利用し、88年5月8日にオープン。開館式には、奇跡的に生き残った当時の教師も出席した。保存工事中に校庭から見つかった被爆死者の火葬の遺灰なども展示。92年には、原爆資料館に展示していた被爆直後の広島市街地を再現した2代目のパノラマ(69年製作)を移設した。

※2013年3月にリニューアルした。

本川小学校平和資料館