移動演劇さくら隊原爆殉難碑

平和大通りの緑地帯にひっそりと立つ原爆殉難碑(撮影・安部慶彦)
桜隊は1945年1月に結成された。築地小劇場創立当時からのメンバーで新劇の名優といわれた丸山定夫を隊長に、宝塚出身で映画界でも活躍した園井恵子ら9人で編成し、広島を拠点に活動した。7月に島根、鳥取を巡演した隊員は、次の公演に向けて堀川町(現中区新天地)の宿舎で待機中に8月6日を迎えた。
5人は即死。丸山、園井ら4人はそれぞれ宮島、神戸、東京へと逃れたが、月末までに相次いで亡くなった。放射線を浴びた影響による壮絶な死にざまだったといわれている。新藤兼人監督による映画「さくら隊散る」でも紹介された。
移動演劇隊は戦時中、国民の戦意高揚を目的に国の号令でつくられた。新劇俳優も多く参加したのは、当時芝居を上演するすべがほかになかったからだった。
戦後、ゆかりの新劇人らによって52年にまず東京・目黒区の天恩山五百羅漢寺に、続いて55年には被爆場所に近い現在地に、原爆殉難碑が建立された。毎年8月6日には、演劇関係者らが集い、志半ばで散った仲間の無念をしのんでいる。(難波健治)
(2012年2月6日朝刊掲載)